エニアグラムの本能のサブタイプについて(翻訳b)

本能のサブタイプについて、リソの本以外の詳しい説明がある本を見つけたので紹介します。
The Complete Enneagram: 27 Paths to Greater Self-knowledge 
という本で、アメリカのアマゾンでレビュー100件で星4.5くらいあるし、良い本だと思います。
私はこの本をキンドルで買って一部を訳してみています。

この本の特徴的なのは、本能のサブタイプについての説明と描写が詳しいことでしょう。
特に、各タイプに「自分の本能に逆らって行動している(かのように見える)カウンタータイプ」がある、という点が興味深いでしょうか。
例えば、タイプ9なら、カウンタータイプは、ソーシャルです。どのような点がカウンターかというと、本来タイプ9は怠惰・平安・調和を好むのですが、ソーシャルのタイプ9は、それを社会的な形で達成しようとするため、社会上の活動に積極的に参加することで、調和を達成しようとする点が「カウンター」という感じです。
また、例えばタイプ4の自己保存は、タイプ4にとってのカウンタータイプです。タイプ4は本来、自分を哀れんで憂鬱と感情的なムードに沈みますが、自己保存タイプは、救いを他人に求めるのではなく、自らの手で獲得するために、仕事に熱心になる、とか、そんな感じです。
これらの解釈と描写は、個人的にはかなり妥当だと思います。もともと、リソによって「各タイプの元々の資質と、強め合ったり弱めあったりするサブタイプがある」という可能性が提示されていましたが、そのアイディアを練り直したのがこの本の説明、という感じです。

部分的に訳してみたので公開します(著作権違反でしょうが)。
訳したものは、自己保存のタイプ3・6・9 です。また、冒頭の各サブタイプの概略も訳しています。
ちなみになぜ自己保存かというと、私が自己保存なので、興味があったからです。
では、以下、訳です。訳注は[ ]でコメントしています。


エニアグラム the_complete_enneragramの訳

<タイプ9 三つのサブタイプ
 タイプ9の原動力は怠惰や怠慢で、それは心理的な抵抗として定義される。心理的な抵抗は、自分自身の存在に対する、深いところでの抵抗であり、自分の「感覚・感情・望み」について気づくことを嫌悪しているのだ。
 タイプ9の三つのサブタイプは全て、精神的な怠惰や怠慢を示している。しかし、自己保存タイプか、ソーシャルタイプか、セクシャルタイプかで、それぞれ示す方法が違うのだ。怠惰や怠慢という原動力は、人や物事に溶け込みたい、という無意識的な感覚で表される。自分自身から気を逸らしたいのだ。また、自分自身の胸の痛みから気を逸らしたいのだ。
 そうして、タイプ9の三つのサブタイプは全て、「何かに溶け込んでしまうこと」すなわち「融解すること」を求めている。しかし、サブタイプごとに、溶け込む対象や方法(回路)が違うのだ。自己保存タイプにとっての溶け込む回路は、身体的な快適性や活動であり、ソーシャルタイプにとっては特定のグループが回路であり、セクシャルタイプにとっては誰か特別な他人が回路である。しかし、何が回路であろうと、自分自身から気を逸らせればそれで良いのである。タイプ9の三つのサブタイプは全て、本当の自分の周りを防音装置で囲んでいるようなものだ。そしてそれが怠惰や不活動として現れる。また、自分の感情や望みを無視することとして現れる。

<自己保存のタイプ9:"食欲"
 怠惰への欲求と、自己保存本能が組み合わさると、タイプ9は結果としてナランホの言う「食欲」というべきサブタイプになる。
このサブタイプの深いモチベーションは、世界において、快適な感覚を感じられることを見つけ出すことであり、それは肉体的な欲求を満たすものとして探し出される。このサブタイプは、食べること・読むこと(読書)・ゲームをすること・テレビを見ること・寝ること、また、働くことにさえ、満足感を見つけ出そうとするのだ(仕事については、それが心地よい場合)。
 このサブタイプに選ばれる活動は全て、その鍵となるのは、「快適な生活を維持することに関わるかどうか」にかかっている。それを活動によって達成できたら、このサブタイプは活動の中で自身の存在を忘れる(または自身の肉体と結びついていない苦痛を感じる[訳注:よくわからない])。そしてこのサブタイプは、毎日のルーチンワークの中に自身の快適さを見いだすのだ。
 自己保存のタイプ9にとって、「空想の中の快適さに逃避すること」や「慣れ親しんだルーチンワークに逃避すること」は、安全をもたらす。世の中で目立ったりするのは、[快適さを破壊する]葛藤を生むことになるので、好まない。複雑さに満ちた予測できない世界の中で、自己主張するより、活動の中で自分自身のことを忘れるほうが、彼らにとってずっと楽なのだ。
 この「食欲」という名前は、単に食べることに結びついているわけではない。肉体的な様々なニーズを満たす欲求を意味している。例えば、食べること、快適にすごすこと、リラックスすること、平和に貢献する感じを与えてくれる活動に関心を払うこと、などなどだ。また、このサブタイプは、肉体的だったり物質的なニーズを満たすなど、しっかりした感覚を与えてくれる欲求に結びついている。彼らのニーズはだいたいシンプルで、直接的で、物質的な実体があり、そしてエンジョイできる物事だ。ある自己保存のタイプ9の女性は、肉体的なフィットネスやダイエットをルーチンワーク化することで、セルフケアしていた。彼女は、ジムに所属し、小さくて親密なグループの中で、エクササイズやダイエットの継続のために、お互いをサポートしている。
 自己保存のタイプ9は着実[堅実?]な人であり、人々の仲立ちをすることに関心がある。逆に、抽象的な物事や、あまり肉体的じゃない物事には、それほど関心がない。これらのタイプ9は、「心理的なできごと[psychological mindedness]」や内省には関心があまりなく、その代わりにもっとはっきりとした目の前の「すべきこと」に関心がある。彼らは何事も、理論を学ぶより、現実の出来事に対処する方がやりやすいのだ。彼らは必ずしも世界に向けて自己主張しないし、自分の中で感じていることについて他の人に向けて話すこともあまりない。
 ナランホは「食欲」の意味を、何かをする「動物」に例えた。例えば、タイプ9にとって、「食べている時がほんとうの自分」だとか「寝ている時がほんとうの自分」という感じだ。つまり、より広い意味での生きる意味を、脳内から消し去る感じだ。[1文略]。彼らにとって、生きることはシンプルであり、ダイレクト[直接的]なことなのだ。
 他の二つのサブタイプと違い、自己保存のタイプ9は、より多くの時間を一人で過ごしたいと思う。他のサブタイプのタイプ9のと同じく、自己保存タイプも、周りの人々や周囲の環境に関心はあるのだが、しかし彼らは結局、あるがままの自分自身に満足しているのだ。だから、このサブタイプは、どんな活動でも、[あるがままの自分でいられるように]参加していれば満足しやすい。しかし同時に彼らは、ゆがんだユーモア感覚や、他人を軽視するようなユーモア感覚を持ちやすい。
 タイプ9はとても愛らしい人々だ。しかし彼らの内心では、自分が愛されるとは思っていない。そもそも自身を愛することを諦めているのだ。自己保存のタイプ9にとって、楽しい活動の中に快適さを求めることは、ある意味で深い自己放棄の代償行為なのだ。または、愛してもらうことを諦める代わりに、他人の欲求を満たしたりするのだ。彼らの陽気さや愛らしさは、とてもすばらしいが、しかしそれは人生の早期における欠落__愛を受け取る喜びの欠落__の代替物かもしれないのだ。
 自己保存のタイプ9は、アクティブで、直感的な傾向にある。彼らは、なんというか「芯の強さ」を醸し出すのだ。彼らはサブタイプの中で、もっともタイプ8に近いタイプ9なのだ。しかし、タイプ9らしく、何か活動を始める上での無気力さは断固たるものであり、それゆえタイプ8に間違われることは少ない。しかし彼らはセクシャルのタイプ9と比べて、強力なエネルギーに溢れている。自己保存のタイプ9は、他の二つのサブタイプのパーソナリティと違い、強力な存在感があるのだ。そして彼らは怒りっぽく頑固だったりひねくれていたりする。彼らは、他人の正しさを認めることが、なかなかできないのだ。このサブタイプは、他のサブタイプより一生懸命に生きる傾向にある。しかし、だからと言って怒りっぽいということでもなく、何か他の人に対して怒るときは「平和を保つための怒り」を表現するのだ。

ダニエル__自己保存のタイプ9は語る。
 僕はアメリカの中西部で育ちました。よく他人から「よく食べるね」って言われてました。これって褒められているのかな?ただ、確かなことは、食べることは僕にとって、どんなときも喜びを与えてくれました。特に、ストレスが溜まっているときは。
 僕は20代前半は選挙運動に関わっていました。そして数ヶ月後に25歳になります。
 それと今日、僕は理解しました、僕の食べ物への愛は、自分自身が愛されることの埋め合わせだったんだって。それと、「食べることより、まず自分自身を愛する方法」を学ばなきゃいけないんだってことも理解しました。
 僕は眠るのが好きです。単なる肉体的な欲求としてではなく、現実逃避としての睡眠なのかもしれません。ほかのタイプ9の友人が自分にはいますが、彼が話してくれました、「怒りを感じるとすごく眠くなる[訳注:この訳はあってないかも]」と。僕も[精神状態と眠りは]関係があると思います。
 ルーチンワークはとても快適なものです。僕には、仕事前に、パソコンをつけてからいつも行うルーチンワークがあります。まずメールをチェックして、5つの決まったウェブサイトをめぐるのです。毎日同じ順番で。もちろん、他にやることがたくさんあるときもあります。しかし僕は、慣れ親しんだウェブサイトをめぐるという、仕事前の快適なルーチンワークを崩したくないのです。
 一人でいることはリラックスできることです。なぜなら、食べたり、寝たり、TVを見ることに没頭できるからです。しかし、自分でもわかってきました、「快適な行為にとどまることは、重要な問題を片付けることには役に立たないし、自分自身をおろそかにしてしまうことだ」と。
自分自身との繋がりを回復して調和を取り戻すためには、問題が山積みです。なぜなら、自分の内面の葛藤や悩みはほとんど手付かずで残ってますし、そもそも自分自身の意見すら不明確なのです。
 僕に向かって、「あなたは本当はタイプ8だと思う。だって他のタイプ9より、どっしりとしていて自己主張的だし」と言う人もいます。その言葉は、私にとっては褒め言葉です!私にはタイプ8のウイングがあり、自己主張することを助けてくれます。そのウイングが、私に、怒りを表現したり、行動を取らせてくれるのです。
[訳注:この人は、単にタイプ9の自己保存タイプというだけでなく、タイプ9ウィウング8の自己保存タイプということ]
[補足:(リソによる本の中で)タイプ9が、自分を愛そう・主張しようとすると眠気が出る、という解説があったが、タイプ6が、自分を信頼しようとすると恐れが出るのと、同じかも?]

<タイプ6 三つのサブタイプ
 タイプ6の本質的な原動力は恐怖や不安だ。それらに対して、サブタイプごとに違った方法で対処する。自己保存タイプは、他人とのつながりを作ることで恐怖に対処し、自己防衛しようとする。ソーシャルタイプは、ルールや基準から逸脱せず、権力者の目の届く範囲では間違ったことをしないようにすることで、恐怖に対処する。セクシャルタイプは、自分の弱さ(脆弱さ)から目を逸らし、恐怖を打ち負かし、自分は強いと思うことで、恐怖に対処する[訳注:普通に考えると、セクシャルタイプが人との繋がりを作ることで恐怖に対処しそうだが、そうではなく、自己保存タイプが人との繋がりを作って対処する、ということ。セクシャルは自身の弱さに抵抗して、強さや美しさで恐怖に対処する(カウンタータイプ)]。
 ナランホが言うには、三つのサブタイプの違いは、タイプ6がいちばん分かりやすいと言う。タイプ6は、ほかの1〜9のタイプに比べて、同じタイプの中での一貫性が分かりにくいという特徴がある。タイプ6の三つのサブタイプは全て、不安に対処しなければいけない幼少期を送ったが、自己保存タイプは「他人と相互に協力して守り合う」ことで不安に対処した。ソーシャルタイプは「何かの戦略・イデオロギー・権力者が設けたルール」など外部の何かに従うことで人生の問題に対処しようとした。ソーシャルタイプは、外部に答えがあると想定して、それを見つけて従おうとするのだ。セクシャルタイプは、「他人が怖がるくらい自分が強大な存在になれば良い」という方法で恐怖に対処する。[他人が手を出せなくなるからだ。]
 結果として、どのサブタイプが最優先かで、[タイプ6は活動方針が全く異なるため]、受ける印象も全然違うのだ。自己保存タイプは暖かく、ソーシャルタイプはクールで、セクシャルタイプは情熱的だ。


<自己保存のタイプ6:"温かみのある人"
 自己保存のタイプ6は、抱えている恐れが、頼りなさの形をとって現れる。自己保存のタイプ6は、生き残ることへの恐怖がある。守られていないという恐怖は、防衛への原動力となり、他人との協力や友情を通して自己防衛しようとする。このサブタイプはタイプ6のサブタイプの中で、もっとも恐怖症の人であり、まさにタイプ6という感じだ。
 「世界は危険だ」という認識のもと、自己保存のタイプ6は友好的なつながりと保証を常に探している。彼らは永続的な友情、信頼、協力__つまり良い保証となりうるものを探し求めている。ナランホが言うには、「自分自身を信頼できないから、彼らは孤独に感じていて、外部からのサポートがないと対処しきれない」と感じている。自己保存のタイプ6は、家族を求めている。つまり暖かく、
敵がいなく、守られている状況を。彼らは、「理想的な他者」を生存防衛のために求めている。つまり彼らには、『「何も不安がない」状況を求めてしまう』という問題があるのだ[意訳]。母親に抱かれる子供のように、自己保存のタイプ6は、自分自身の関心を追求する自信もないし、自身の生存を守るという自信もない。
 自己保存のタイプ6は、防衛のための保証を探すことで、不安から逃れようとする。それゆえ、彼らは他人に依存する[訳注:つまり、自分で不安を抱えず外部に丸投げしたいということ]。彼らは、生存のための恐怖を感じないようにするため、何か他のもので埋め合わせようという情熱があり、それが他人に対する暖かさとなって現れる。だから、この原動力は、病的な暖かさである。自己保存のタイプ6は、サブタイプの中でもっとも暖かい人柄なのだ。彼らは、良い雰囲気で、一般的に愉快な人柄である。彼らは、見返りのない親しさと信頼を、無限に持っているように見える。しかし実は、彼らは「他人が失望してしまう」ことを恐れているのだ。とりわけ、「自分にもっとも近い人の失望」を恐れている。
また、暖かく振舞うことは、他人が彼らを攻撃しないようにする戦略なのだ。
 自己保存のタイプ6は、「怒り・攻撃性・挑発・敵対」を恐れている。そして実は、他人の攻撃性を恐れることは、自分の攻撃性を持て余していることの裏返しでもあるのだ[意訳]。ナランホがタイプ6について説明するところでは、[他人に暖かくすることで]他人に自分を好きにならせることは、他人が自分を怒らない[or攻撃しない]ことにつながるという。ナランホは次のように主張する、『「怒りへの恐れ」は実は、タイプ6が外部へのサポートを期待して他人に依存しようとすることからきているのだ』と。
 自己保存のタイプ6は、「決断へのためらい・優柔不断・自分自身への疑念」に溢れている。こうしたタイプ6は、多くの疑問を抱え、そしてそれは解消することができない。彼らは、自身を疑い、そしてその疑っている判断すら疑うのだ。「はっきりせず確信が持てない、または満足のいくはっきりしたものが見つけられない」という感覚のせいで、自己保存のタイプ6は、決断を下すことがいっそう難しくなる。彼らの目には、世界は曖昧さに満ちているように見える__全てが灰色で、「白か黒」[のように単純なこと]はほとんどないのだ。自己保存のタイプ6は、この不明瞭さについての感覚を追い払うことができない。こうした感覚と、疑念を抱きがちな習性のせいで、彼らは、何事も「準備ができている」とか「大丈夫(できる)」と思うことはない。彼らは、多くの責任を感じ、過ちについての罪を感じている。他人の罪でさえ自分のものと思うのだ[訳注:何故いきなり罪の話になるかわからない]。
 自己保存のタイプ6には、二つの真実がある:一つ目は暖かさ・優しさ・安らかさ・調和の取れた感じだ。そしてもう一つは、恐怖・罪・苦悶・苦痛だ。二つの真実は彼らの、心と頭の機能に対応し、その二つは、はっきり別れている。外部に向けては心の機能を示し、内部に向けては頭の機能を示すのだ。
 もっとも恐怖症的なタイプ6として、自己保存のタイプ6は愛と防衛を等しいものだと考える。だから、愛を探すときに、内面の不安定さを埋め合わせるものとして、安定さを探してしまうのだ。自己保存のタイプ6は、「自分が寄りかかることのできる強い人」を求める。そして、恋人にフレンドリーさを提供する代わりに、その恋人を、外部の攻撃からの防波堤として利用するのだ[意訳]。自己保存のタイプ6は、自分に欠けた強さを取り戻すため、誰か強い人に守ってもらうことや愛してもらうことに関心がある。なぜなら、強いものはタイプ6をより安全にしてくれるからだ[意訳]。
 自己保存のタイプ6は、それゆえ、タイプ2にも似ていたりする、タイプ2と同様に、暖かくフレンドリーな感じで、他者との関係の構築に多大な労力を払うからだ。[1文略。]しかしタイプ2と違うのは、自己保存のタイプ6の深いモチベーションは安全を築くことであり、タイプ2のような自尊心の満足ではない。

リンダ__自己保存のタイプ6は語る。
私は、一軒家が集う小さな地域で生まれ育ちました。そこでは、近所の住民同士が集まってルールを決め、問題を解決しながら安全に暮らせました。そうした環境は、幼心に、居心地よく感じました。そのため、私が「他人と快適な関係を築き、維持するためのポイント」は「話し合って決めることができるかどうか」になりました。私自身も「所属するコミュニティの価値を信じ、コミュニティの理想を実現する」ための、運営メンバーとして働きたいのです。
しかし、私はあるとき、現実ではルールや法令が全然守られていないことに気づきました。4年前、私は隣人に自分の権利を侵されそうになりました。そして私の気付かぬうちに、私の土地の一部が隣人のものになってしまったのです[意訳]。それにより、私がこれまで注意深く保ってきた隣人との同盟は破壊され、隣人は敵になりました。私はすっかり無防備になった気分でした。さらなる攻撃で侵略されたとき、私はどう自分自身を守ったら良いのでしょうか?
隣人からの裏切りによる、激しいショックと怒りのせいで、私は不安や恥ずかしさを感じました。そして私は、「近所の一軒家に住む住民同士の話し合い」に出ることをやめました。隣人と話したり、近所をぶらぶら散歩することもしなくなりました。いつまた「攻撃」を受けるか心配だったのです。[一文略。]家の外では[近隣住民に対し]私はフレンドリーに振る舞いましたが、内心はびくびくしてしていましたし、彼らを軽蔑していました。この、外面と内面の不調和が、心身をひどく疲れさせました。私が今望んでいることは、家を売って、さっさとこの地域から離れたいということです。

 

<タイプ3 三つのサブタイプ
 タイプ3の原動力は虚栄心だ。タイプ3の三つのサブタイプは、それぞれ違った方法で、「成功したイメージを保ちたい」という虚栄心を、表現している。しかし、この方法はサブタイプごとに異なる。自己保存タイプは、効率を求め、ワーカーホリックになることで、虚栄心に対抗して、きちんとした実際の成功を得ようとする。ソーシャルタイプは、自分が作り出した「自分自身の良いイメージ」を売り出すことで、虚栄心を直接表現する。セクシャルタイプは、「他人へ協力することをアピールしたり実際に行う」ことで虚栄心を表す。つまり「お人好し」となることで、自身の虚栄心を表すのだ。タイプ3の三つのサブタイプには、はっきりとした違いがある。自己保存タイプは、他社の関心を引きつけることより、ハードに働くことに関心がある。ソーシャルタイプはみんなの注目の的になりたがり、良いパフォーマンスを見せようとする。セクシャルタイプは、ロマンチックなパートナーを得たり、自分の人生で大切な人を支えることで、自分への注目を惹きつけようとする。セクシャルタイプは、あまり自分の達成したものを売り込まないのだ。

<自己保存のタイプ3:"安全保証者"
ナランホはこのサブタイプを「安全保証者」と呼んだ。なぜなら彼らはハードに働き、物質的安全と財政的安全を効率的に達成するためだ。自己保存のタイプ3は、安全に対する関心を示す、以下の点で:「自分自身や他人の世話をするためにどうすればいいか」の点と、「自立と自給自足を保つためにはどうすればいいか」の点で。
 自己保存のタイプ3は、しばしば、「防衛と資源」に欠ける子供時代を過ごしている。求めるものに対してそれらが足りていなかったのだ。そのような状況に対応するため、自己保存のタイプ3は、他人の助けなしにやっていくには、どのように活動すれば良いとか、どうすれば効率的に活動が達成できるかを、学ばざるを得なかった。自己保存のタイプ3は、危険に満ちた世界で安全確保をする上で、自立に特別な注意を払っているのだ。
 この安全への関心が根底にあるため、それは他者にも拡大される。自己保存のタイプ3は、自然に安全について気にしてしまう:彼らは頼りになる人であり、アドバイスを他人から求められる人でもある。彼らの外部に向けた印象は「穏やかで引き締まった感じ」に見え、「全てを他人と分かち合う人」に見える。しかし彼らは実は、内心では不安を隠しているのだ。彼らは、何かしらの物事を解決する(それも質の高い)スペシャリストになれば(そしてそのためにハードに働けば)、ストレスを感じないと考えている。それで、彼らは大抵財政的に安定していて、とても生産的で、そして「常にコントロールされている」状態になる。しかし彼らは、自身が熱望する「安全」をきちんと確保できるだろうかという不安にいつも悩まされているのだ。そしてその(感情がある)ことを、自分でもわかっている。
 自己保存のタイプ3は、自分の行うこと全てに、とんでもない質を求めて奮闘しがちである。彼らは、自分の行う活動において、模範的かつ理想的なモデルになりたいのだ。彼らは次のように願っている:「親として・パートナーとして・仕事人として」ベストな存在でありたいし、そして何もかもにおいてベストでありたいのだ。彼らは、他人から良く見えることを求めるだけでなく、内容が伴っていることを求める。彼らには、「安全上の欲求」と「他人から賞賛されたい気持ち」の両方がある。[訳注:つまり、名誉と実力を兼ね揃えた存在でありたいということ。例えば、仕事において、グループのエース的な存在など]。つまり彼らは虚栄心だけでは満足できないのだ。彼らは、何かをうまくやっていることの証としての他人からの賞賛を望んでいる。そして彼らは、可能な限り最高の方法で物事を達成したいと考えている。その点で、彼らは、他人だけでなく、自分自身にも納得させたいのだ。彼らの「理想的なモデル」を目指す傾向は、自分の欲求を忘れる原動力にもなりうる。
 このような、完璧なモデルになろうとすることは驕りであり、この驕りは自尊心の欠落からきている。つまり、自己保存のタイプ3は『「虚栄心などないフリをする」という虚栄心』を持つのである。これは次のことを意味する:自己保存のタイプ3は魅力的で成功しているように他人から見られることを望む一方、「そう望んでいる」という事実は他人から知られたくないのだ。つまり、「良いイメージ」を作り出そうとしているという事実は、他人から隠しておきたいのだ。そう望むことは、倫理的には良いことではないため、隠しておきたいのだ。道徳的に高潔に見られたいからだ。自己保存のタイプ3の人の中には、他人から賞賛されたいという自身の欲望に気づいているが、それをしばしば秘密にしている。[2文略:大した内容じゃないので略]。
 虚栄心を否定するため、自己保存のタイプ3は、サブタイプの中でカウンタータイプたりうる。つまり、このサブタイプのタイプ3は、元々のタイプの欲求に反抗しているため、タイプ3のように見えないということだ。このように、彼らは、虚栄心に抵抗することを原動力にしているが、しかし他のタイプ3のように、実際は虚栄心が存在するのだ[半文略]。
また、自己保存のタイプ3には、相反する二つの性質がある:「他人の関心を引き付けたい」という欲求と、「自分が生きていく上での安全を確保したい」という欲求の間に矛盾が生じてしまうのだ。ソーシャルサブタイプの3と違って(ソーシャルのタイプ3は外部によく自慢をする)、自己保存のタイプ3は、自分の目立つ部分を主張したりしないし、社会的地位の高さも自慢しない。なぜなら、そうした自慢は品が良くないと思っているからだ。しかし実際には内心では「他人から成功しているように見られたい」と思っている。彼らは、高潔なのか高潔じゃないのか微妙なところだ。
 こうした、「自分の内面について」嘘をつく習慣があるため、自己保存のタイプ3は、自身の本当の心の声に気づきにくい[意訳]。他のタイプと違って、自分自身に無意識的な嘘をついているのだ:もし彼らが自分の真のモチベーションに気付いてしまうと、彼らは困惑する。そもそも、彼らは、自分の[道徳的に高潔という]イメージ上の姿を信じ込んでしまい、実際の自分の本当の望みを隠しているのだ[意訳]。
 自己保存のタイプ3は、かなりワーカーホリック的であり、そしてその原動力は安全の確保なのである。彼らは、「自分自身の他に頼るものはない」と思い、「自身の人生をコントロールしたい」と思っている。彼らは、現実で起きることに責任を感じているし、しばしば自分を全知全能だと思っている。彼らの「物事をコントロールしたいという欲望」と「押さえつけられた不安」のせいで、パニックになる時がある。彼らは「自分の自立を失いそうな」時や「外部からの助けを必要とする」時に、パニックになったりするのだ。
 自己保存のタイプ3の、安全への欲求は、必要以上に生活を簡素にする。「何が必要か」という観点で物事を見るためだ。彼らは、自分にとって良いものや、コントロールできるものだけを、人でも物でも周りに置こうとする[意訳]。彼らは弱みを見せたくない。彼らはこう思いたい:「やるべきことは一杯だけど、なんでも上手くこなせているように見せなきゃ[意訳]」。もし、状況が自分のコントロール下から離れてしまうと、彼らは混乱し、自分の内面とのつながりを失い、そしてフリーズしてしまう。その時彼らは、コントロールを取り戻そうとするため多少荒々しくなる[意訳]。自己保存のタイプ3は、他のサブタイプに比べて、物事の対処の仕方において柔軟性に欠ける。
 「安全を確保するために効率的に働く」ことにエネルギーが注がれているため、自己保存のタイプ3は、自分の感情を大事にする気はあまりない。内面のメンタルスペースが小さいのだ。そうなると、他人に深く関わりにくくなる。彼らは、「他人との関係を維持する」ために一生懸命働くが、他人との深いつながりという面において問題を抱えている。自分の内面への気づきというのは、本来、他人との絆を作るものだ。しかし、自己保存のタイプ3は、自分の思いに気づきにくいので、他人との絆も表面的なものになってしまうのだ。自己保存のタイプ3は、「自分の感情」に目を向ける時間を、無駄な時間だと思ってしまうのだ。そして、結果として他人との親密な付き合いをしにくくなってしまうのだ。親密な付き合いは本来、自分と他人の「真の気持ち」に互いに触れ合うことで可能なのだ。
 自己保存のタイプ3は、タイプ3と思われにくい。彼らは、しばしばタイプ1やタイプ6に見間違われる。自己保存のタイプ3は、「柔軟さに欠け・責任感があり・自分のことを自分でやる」という点でタイプ1に似ているからだ。また、タイプ1のように、活動や仕事において「理想や高潔さを求める」点でタイプ1と似ている。タイプ1と違うのは、自己保存のタイプ3の方が「何をするにもペースが早く・他人の目に映る自分のイメージに関心があり・どんな姿が理想か明確な確信がある」点だ。タイプ3は、社会的なイメージとしての理想形があって、そことのズレをもとに判断するので、タイプ1とは違う[意訳]。タイプ1は内面の基準にしたがって、良いとか悪いとかを判断するのだ。また、タイプ6との違いは、自己保存のタイプ3は本質的にイメージ重視であり、安全のために働くが、一方タイプ6は防衛のために働くのだ。また、タイプ3は自信のアイデンティティや自尊心を常に疑い続けているので、生産性を落とすことには拒否反応を示す。一方タイプ6は、ものごとに疑念を挟み込むことで生産性を落としがちだ。

ヴァージニア__自己保存のタイプ3は語る。
私は、ずっと成功者でした。幼い頃、幼稚園では、課題を一番にやり終えて友達を助けていました。小学一年生の時、スクールカウンセラーは両親にこう話しました:「この子は、宿題も、学校でのふるまいも、何もかも完璧すぎてこわいくらいです」と。私は自分のキャリアを通じて熱心に働き、フォーチュン500企業の管理職に就いています[訳注:フォーチュン500というのは日本でいう大企業のこと]。それと、結婚と離婚を二回しました。私のパターンは、3年〜5年は完璧な妻を演じられるのですが、次第に極度の疲労が溜まり、夫への怒りが募ってしまうのです。私は、他人に弱みを見せたり、頼ることができないのです。そうすると非常に居心地が悪いのです。私は、『これまでの人生で自分が困難に挑戦してきた』ことを自慢に思っていますし、『人生において「責任・公平性・気前の良さ」を大事にしてきた』ことも自慢に思っています。私はそういう自分の性質を、他人からも賞賛されたいと思っています。しかし、表面的な評価を大事にしていわけではありません。[かなり意訳]。実質が大事なのです。
私がはじめてエニアグラムを学んだ時、私は、自分が「イメージばかり気にするタイプ3」であることを拒否したくなりました。私は、自分の中ではタイプ6でした。ワークショップの中で、私は模範的なタイプ6として、皆の前で話をすることさえありました。今になってわかりましたが、私のゴールは二つあります。一つは、強さと弱さのバランスをとることで、これは、過度に自立しようとしないことです。もう一つのゴールは、活動と落ち着きのバランスをとることで、これは、過剰に活動しないようにすることです。


ちなみに、これ以外のサブタイプや、タイプ3・6・9以外のタイプは、気が向いたら訳す予定です。
というか、この訳だけで字数は1万二千字くらいあったし、結構大変です。。。。

以下雑記です。
ちなみに、日本のエニアグラム団体の中嶋真澄さんとかは、買って訳してるっぽいんですよね。下記の記事とかみると。

enneagram.majikanakajima.com

私はそうした団体に属してないので、英語の本の情報を自分で手に入れようと思ったら訳すしかないですが。
英語版といえば、「エニアグラム基礎編」でほとんど触れられなかった、エニアグラムの理論的な理解についても、「Understanding the Enneagram: The Practical Guide to Personality Types」 の7章〜11章に書かれていて、そっちもクッソ重要なことが書かれていました。ちまちま訳してるのですが(そして粗い訳をこのブログで公開していますが)、日本のエニアグラムの団体では内部的には訳して公開してるんでしょうかね?

はっきり言って、邦訳本で公開されているエニアグラムの研究って、2000年以前のもので止まっているんですよね。前述の「Understanding the Enneagram: The Practical Guide to Personality Types」のような、とても重要で、そして基礎的なことですら、邦訳がなかったりします。

だから、1990年代後半〜2000年以降の、研究結果を学ぶには英語の本を読むしかないという。または、何かしらのエニアグラムの団体に入った方が良いのかなあと思うこの頃です。でも私、北海道の札幌に住んでるし遠いんだよなあ