エニアグラムの基本原理の日本語未翻訳箇所

Understanding the EnneagramRevised Edition”(Houghton Mifflin, Boston, 2000) という本があり、日本語の書籍としては出版されていない本だが、そこにはエニアグラムの基本原理を考える上でいくつか重要な話が述べられている。

なぜ重要かというと、エニアグラムの1~9の各タイプが、なぜそのような行動をとるのか、行動(本能)・心・思考センターの働きの面から説明し、また、各タイプが成長するためにはどうすればいいか、理論的に説明しているからだ。これまで邦訳されているエニアグラムの多くの本では、統合の方向や分裂の方向、3つのセンターについて、発達の諸段階、などが説明され、それから各タイプの説明がされている。しかし、実際のところ、各センターの話と、各タイプの話、発達の諸段階(レベル)の話の関係は、あまり関係性が明示されていない。多くの本では、「各センターがあります」「こういうタイプがあります」「各タイプはこのような発達段階をとります」という説明があり、それらの話題の関係について軽く説明されているが、それを詳細に説明しているのが、上記のこの本である。自分はこれまで日本で出版された邦訳本を読んで、タイプやセンターの関係が分かったような気でいたが、この未邦訳本を読んで、根本的にきちんとした理論として理解していなかったことに気づかされた。

そこで、書籍のチャプター7のすべてとチャプター9を粗く訳したので、公開しておく。なお、訳文のうち、部分的には2chに過去投下されたとらぱさんの訳を使用している。注意点として、私の訳が正しくない場所もあるだろう。また、「図を参照」と書かれていても図を張っていない場所や、本文のほかに※印と共に私的なメモも書かれていて読みにくい場所もある。これらについてはご勘弁願いたい。

また、たぶんほとんどの人は訳文を読んでも意味がわからないと思うので、整理した要約については、別途記事を設ける。

 なお、この本は、キンドルで発売されているので、気になった方は自身で訳してみると良いと思う。この本のうち、日本であまり翻訳されていない部分だけを拾い読みすれば、100Pにも満たないと思う。

チャプター7: 

センター

 センターは、人間には3つの知恵があるという考えに関連している。体の知恵、すなわち本能は腹に位置する。心の知恵は感情や気分に関係する。頭の知恵はあらゆる認識機能に関係する。

 性格のタイプ解説(チャプター3)で、私たちはこの三つのセンターの基本的な機能について論じ、その本質的な特性について説明した。他の宗教的なシステムでも、ここでいうセンターについて様々に触れている(たとえばインドではチャクラなど)が、しかしそれらはかなり似通っているのだ。私たちのセンターの理解は、主にグルジエフの研究によっている。彼は三つのセンターを、行動ー本能センター、感情センター、知性センターと呼び、私たちのいう三つのセンターにそれぞれ対応している。

 経験的に、三つのセンターは私たちが普通考えているものとははっきり違っている。人々の中には、私のアイデンティティは腹にある、と言う者もいるだろう。(しかしそう考えない人の方が多いのだ。私たちのほとんどにとって、自分の持つ3つのセンターをはっきり区別していることは少ない。)→意訳;しかし私たちのうちほとんどは、自身の存在がどこにあるか意識しておらず、そもそも3つのセンターのちゃんとした区別をつけてすらいない。

 私たちの現代教育は、この3つのセンターについて全然教えてないのだ。

 性格のタイプの章で見てきたように、それぞれのセンターについて個別に触れることは話を簡便にするが、実際は、3つのセンターは同時に動くのだ。3つのセンターのうち一つが動き始めれば、他の二つのセンターの様々な反応と防衛が活動し始める、自身のエゴ(訳注;ここで言うエゴとは、自己意識のことだろう)を守るために。あるセンターのどの反応も、他の二つのセンターを動かすのだ。

 エゴはストレスに反応し、自身を脅かしてしまう。体を緊張させ、私たちの意識を現実から注意をそらすことで(体のセンターの反応)。緊張と乖離は、幻想的な境界を作り出す、何が安全かについて。しかし、緊張は体を無感覚にし、現実からの意識をそらす。そしてさらに自身の本質たる体への定住感覚(ground of our being)とのつながりまでなくしてしまうのだ。

 私たちは本当の自分自身を作らなければならないし、そのために他人からの感情の反応を必要とするのだ。他人からの反応は、自分自身のアイデンティティの代わりとなるものなのだ(心のセンターの反応)(この段落はここまで意訳)。時間をかけて、私たちは自身の定義、物語、好き嫌い、人間関係、物事の受け止め方を構築していく。これらは心のパターンと言える。これらを自分自身のアイデンティティと思い込むことは、正しくない。これらは自分自身ではない。これら心のパターンは、常に作り直す危険にさらされている。それゆえ、私たちは、間違った自己を他人から守り、自身のうちに空虚さを感じてしまうのだ(一文意訳)。

 何かを解決したり手配することに伴うものは不安と恐れだ。何かがきちんと行われるために、私たちは人生に対して戦略を発展させる。そしてそれは私たちの本質からくる内なる導きにつながるものである(頭のセンターの活動)。それゆえ、しなければならないと信じることの中に自分自身を押し込めるのだ(一文意訳)。恐れは外界の恐れだけでなく、自分自身がきちんとやれるかという疑いからも起こる。そしてこの恐れが、自身への信頼を何度でも打ち砕いてしまうのだ。

 恐れはさらに境界の緊張をもたらし、それがさらに現実からの接触を失わせ、体を緊張させる(体のセンターの話を思い出そう)。そしてその結果、生きている感じがしなくなり、偽りの自分を必要としてしまうのだ。そしてそれがさら恐怖を増大させ、このサイクルはどんどん続く(図;各センターがどのように他センターを補強するか)。

 ここまで見てきたように、エゴの構造はあやとりのようなものだ。特定のセンターの反応は、相互に強めあっているのだ。私たちは三つの問題のどれかに取り組まねばならないーー私たちのエゴを正当化してしまう下記の3つの問題に;体の緊張と抵抗感、間違った自己のアイデンティティ、恐れと戦略の問題。

この全ては次々に意識に浮き上がってくるので、解放しなければならないのだ。もし私たちが人工的な(偽りの)アイデンティティの問題に取り組んだら、すぐに私たちは恐れの問題に直面し、さらに抵抗感の問題に直面する。もし私たちが体の緊張の問題への取り組みから始めたら、すぐに私たちは人工的なアイデンティティの問題に直面し、そのあとで恐れの問題に直面する。もし恐怖の問題への取り組みから始めたら、すぐに体の抵抗感と緊張の問題を発見し、そしてそれから恐れを紛らわせてしまっている人工的なアイデンティティの問題に直面する。

 だから、3つのうちどれかに取り組むことは、私たちのパーソナリティを解放することに繋がる。もし私たちがそうしたら、パーソナリティがこれまで隠していた、三つのセンターが持つ本質的な3つの価値を見つけ出すことができるだろう。体のセンターでは、体の緊張や幻想的な境界の代わりに、今、ここにいるような、ほんとうに現実に生きている感じを見つける。感情の反応が作った偽りのアイデンティティや、自己への誤った思い込みから解放されると、私たちのアイデンティティをダイレクトに感じることができる。私たちは、自分自身の唯一性や価値を知っており、様々なものの豊かさを感じることができる。頭のセンターでは、恐れや苦し紛れの戦略の代わりに、人生における問題を解決するため、私たちは自身の中に平安、知性を発見できる。自身の中の(ground of our being)自信と確信を直接感じることができるようになるのだ、周囲の状況にただ反応したり、自分の頭の中の恐れに邪魔されることなく。

 この構造において、心に繋がることはハートを開くことにつながり、そしてそれは心を静かに安定させることにつながり、そしてそれは存在に生きることに繋がる。この三つのセンターについて、これまで個別のものとして話してきてしまったが、実際はこれらは一つなのだ:このうちのどれ一つとして、他の二つなしに働くことはできないのだ。

 

 

3つのセンターの乱れ(imbalances

 グルジェフによると、人には高次感情センターと高次知性センターがあり、十分に機能はしているのだが、3つの低次センター(思考、感情、本能)をごちゃまぜにしたり誤用しているから、高次センターからの「信号」を受け取れない。

 

254まで略

 チャプター4における私たちの、発達段階における議論において、ショックポイントがあることを説明した、健全な範囲と通常の範囲の間(レベル3と4の間) と、通常の範囲と不健全な範囲の間(レベル6と7の間)に。そしてまた次のようなことも注意喚起した、そのショックポイントを超えるには大きな力が必要であることを。このポイントでは何か重要なことが起きていて、それを理解するには各センターの乱れに着目することが必要と私たちは考えた。

 その何か重要なことは、私たちのレベルが下がると、各ショックポイントにおいて別のセンターが乱れる、ということを指す。それゆえ、健全な範囲のときは1つのセンターがパーソナリティの影響を受けている。

 通常の範囲の時は2つのセンターがパーソナリティによって混乱させられている。

 不健全の範囲の時は3つ全部のセンターが歪むようになる。

 不健全な範囲では、三番目のセンターも問題を抱えており、一方通常から健全ではそれは見られない。それで、通常の範囲の人にとって、まず三番目のセンターに取り組みことが非常に助けになるだろう。そのセンターはまだ歪んでいないのだ。私たちは通常の範囲で、基本的には一番目のセンターと二番目のセンターのインタラクションで自分自身を確立しているため、三番目のセンターは自己イメージの中にないのだ。つまり、三番目のセンターは、手のつけられていないテリトリーであり、使われていなかった精神的な部分である。そのため、まだまだその部分は未発達なのだ。

****他者の訳******************

根源的タイプではないタイプ(1, 2, 4, 5, 7, 8)で、通常の段階のひとは、

1番目の自己同一化しているセンター(アンダーライン引いているセンター)や、

2番目のセンター(1番目のセンターとつながっているセンター)ではなく、

3番目のセンターからワークするのがよい。

なぜなら、自己イメージの一部ではないから。

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 根元タイプは副次タイプとは成長へのアプローチが違っている。根元タイプは、直接、もっとも問題のあるセンターに取り組まなければならないのだ。いわゆるボックスの中のセンターである。根元タイプにおいて問題のあるセンターは、十分に表現されておらず、抑圧されている。それは、壊れていると言ってもよく、隔離されて、ボックスの中に入っており、他のセンターと隔絶している。それにより、根元タイプは長い時間をかけて自身の一番大事なセンターをネグレクトしており、発達させていない。ある意味、根元タイプにおける問題センターは、経験によって学ぶことを必要している、とも言える。経験が生じれば、根元タイプは、自身にとって、その機能を使っても安全だと徐々に学び始めるのだ(納得し始める)。例として、タイプ3は他人の拒絶なしに自身の思いを感じることを学ばなければいけないし、タイプ6は外部からの支えを失うことなしに自身を信じることを学ばなければいけないし、タイプ9は他人とのつながりを失うことなしに自己主張できることを学ばなければいけない。

 根元タイプにとってのセラピー的なワークは、取り組みはじめの時は難しいかもしれない。これらのタイプは、直接もっともバランスの崩しているセンターに向かい合わなければいけないからだ。しかし、ボックスの中の、自身とのつながりが失われたセンターが統合し始めると、その進歩は急速だ。このような理由により、根元タイプの成長の道は革命的(revolutionary)と言える。一方副次タイプの成長は徐々である(evolutionary)。副次タイプにおける統合のプロセスは、過程を経るのが易しいかもしれないが、成長はゆっくりとした小さなステップの積み重ねであり、各センターのバランスは徐々に戻ってくる。

 

 

9つのタイプと彼らの乱れ(imbalances

 これから9つのタイプの解説をする。まずはタイプ2と4、つまり心のタイプだ。彼らがどのようにセンターのバランスを失うかと、セラピーの示唆を解説する。こうした情報は、ワークに役に立つというだけでなく、あらゆるセラピストやカウンセラーにも役立つだろう。

 

タイプ2:助ける人

 255ページの図にあるように、Fセンターに下線がある。この下線はすなわち、タイプ2は心のセンターに主軸を置いてますよ、ということだ。しかし、チャプター3の議論で見てきたように、心のセンターの真の資質はタイプ2自身のエゴによって阻害されている。それゆえ、タイプ2はその阻害を埋めあわせるために、愛しているという感じを行動によって表現するのだ、具体的には誰かに何かをしてあげることによって。簡単にいえば、タイプ2は行動を感じ始める(do their feelings)のだ、感情を感じる(feel their feelings)代わりに。この理由は、FセンターとMセンターの間にひかれた線だ。通常の段階では、タイプ2の心のセンターは、本能ー行動センターたるMセンターに邪魔されている。

 タイプ2の感情のエネルギーは、本能と混じり合い、タイプ2にとって、この二つを分けて考えることができない。ある意味、感情が本能の反応を邪魔しているとさえ言える。結果として、タイプ2における本能(彼らの強さや自己を守るための感覚と、自身の実存を感じる能力)は、感情によって圧倒されており、他者に対して反応することでアイデンティティを感じるという性質によって圧倒されている。タイプ2は存在している感じ(sense of Being)を発達させてきたのだ、他人に対するフィーリングを通じて。タイプ2は他人の世話をして自身の欲求から目をそらすことでこのアイデンティティを強めてきたのだ。彼らはシンプルに感情を感じる(feel their feelings)ことができない、(誰かに対して愛を示したり等の形で)感情を行動化することなしに。本来本能センターはそれ自体で活動するものだが、フィーリングセンターとのコンビネーションによって、彼らの心の反応とも呼べる行動に駆り立てる、例えばゴシップだったり、文句を言ったり、顔に赤みがかかるような反応(訳注;三月のライオンでよく見られるような、顔が赤い感じの心がおおげさな反応と思われる)をするのだ。これにより、タイプ2に接した人々は、タイプ2は他の人より感情豊かだな、と判断するのだ。しかしそれは真実ではなく、タイプ2はただ感情を表現しているだけなのだ、行動をすることで。つまり、感情と本能センターがごっちゃになっているのである。

 タイプ2のレベルが下がるにつれて、この乱れ(imbalance)が段々強くなっていき、タイプ2の三番目のセンターたる思考センターまで乱れてくる。不健全な範囲では、タイプ2の思考は感情のニーズと本能によって大いに乱されている。その時、本能と思考は、感情センターの乱れによって、いっせいに乱されるのだ。タイプ2はその時、まさしく感情の問題によって自らの健康を害すといえよう。ここまで見てきたように、不健全なタイプ2は食べ物や薬を乱用し、感情の乱れを体に八つ当たりするのだ。

 一方、通常範囲のタイプ2はこのプロセスを遡り、思考センターをただしく発達させることにより、偽りのアイデンティティを解放させる。多くのタイプ2が報告している:自分自身の感情が、内なる静けさや大局的なものの見方を阻害していると。彼らにとって、全体と個別の考えを関連づける(概念を結びつける)ことは難しいのだ。タイプ2はまた、言語的なコミュニケーションへの居心地の悪さを述べる、彼らが思考センターをそれほど発達させていないから。

 しかし思い出して欲しい、タイプ2にとって思考センターが自己イメージにあまり含まれていないことは、彼らの知性(intelligence) とほとんど関係ないのだ。タイプ2はある意味では心についての天才であるが、本能と感情センターによって自己を確立しているため、思考センターに頼る必要があまりないのだ。思考センターについての正しい理解をする必要がある:思考センターの本質的な資質において、内なる支えと導きと、静かな心の発達が重要なのであって、本をたくさん読んだり、スクールに通ったり専門家になることは大した重要じゃないのだ。

 最終的に、タイプ2は本能と感情の反応をきちんと識別することを学ぶことで、健全に発達すると言える。感情を、体から解放することで、自身の心とモチベーションにより触れることができるのだ。とりわけ、否定的な感情にも。そうすると、タイプ2は誰かのために行動することなしに、自分の感情とともにじっと座ることができる。抑圧された心の傷や悲しみを解放することで、心のセンターはバランスを取り戻すのだ。そしてその時、タイプ2は、おおげさな反応や他人中心主義から解き放たれ、自身の心に繋がることができる。本質的な心の資質は、他人や自分自身を慈しむような、哀れみぶかさや思いやり(compassionate)の中にあるのだ。

(ハートの本質的が、バランスがとれ、思いやりのある方法によって現れ、タイプ2が自分自身と他者にたいして、「自由に」ケアすることを可能にする。)

 

タイプ3:モチベーター

 タイプ3は根元タイプなので、そのシナリオは副次タイプであるタイプ2や4とはちょっと違っている。根元タイプはセンターの中心に位置するので、その機能を活かすのがもっとも難しい。タイプ3では、問題は心のセンターだ。タイプ3はもちろんフィーリングを持っているが、しかし彼らのフィーリングは他の二つのセンターと適切にリンクしていない(Fをボックスが囲んでいるのを思い出して欲しい)。それはまるで、心のセンターと他のセンターの連絡路が落ちているかのようなものだ。センターの中央のタイプとして、タイプ3は心の本質を経験することについて最も問題を抱えている。それゆえそのパーソナリティは、心の本質的な資質からくる価値やアイデンティティの欠落を、埋めあわせることを強いてられている。タイプ2や4と違い、タイプ3は自身の心のセンターから最も遠ざけられており、その代わりに思考センターと行動ー本能センターを、彼らの価値やアイデンティティをもたらすのに使っている。

 結果として、タイプ3の活動様式は二つのモード分割されている:心のモードと機能モードだ。ほとんどの時を、タイプ3は機能モードで過ごす、これは思考と本能のコンビネーションだ。彼らがこの状態にいる時、彼らのモットーは、私は機能している、それこそが私というものだ。彼らは競争的で、有能で、頭脳明晰で、通常の範囲のタイプ3はクールなプロフェッショナルと言った感じだ。しかしながら、彼らは時に、自身の感情面に沈み込み、自分の思いを深く感じるモードに入ることもある。そのような心のモードの時、通常の範囲のタイプ3は効率的に機能することができない。彼らはその時、ただ感じることしかできない。

 多くのタイプ3が報告しているが、通常の範囲に彼らがいる時でさえ、機能モードと心のモードを同時に機能させることはできない。彼らは信じているのだ、もし自分の心を感じてしまったら、うまく世の中で機能することができず、逆に機能していたら、自分の心に目を向ける余裕などないと。

ハチクロや上遠野さんのキャラの二つのモードがあるな

こうした信念は、以下のように補強される、タイプ3に対して親など多くの人が感情を置いといて技能を鍛え良いパフォーマンスを発揮するように仕向けることで。

 世の中で良いパフォーマンスを発揮したいという欲求が増すにつれて、通常の範囲のタイプ3は心のモードを避けて、できる限り機能モードでいようとする。さらにレベルが落ちると、彼らは世の中でうまく機能することにのみアイデンティティを持ち、自分のほんとうの気持ちに触れることを恐れる。それゆえ、自身の感情を避けようとするのだ。彼らの心と機能の隔絶が大きくなればなるほど、彼らの心は無意識領域に押しやられ、しかしその無意識領域が行動に影響を与えてしまうのだ:彼らのうまく機能するための技能まで台無しにしてしまうことで。

 タイプ3が不健全になるにつれて、彼らの心のモードと機能モードを隔てる壁が大きくなる。そうなってしまうと、彼らに対する外界の出来事や人々は彼らの心に影響を与えてしまう。そのまま時間が立つと、妬み、憤慨、敵愾心、憂鬱が次第に蓄積され、

彼らの世の中で機能するための技能を邪魔することになってしまうのだ。これはタイプ3にとって、自身の感情に触れることをさらに恐れさせ、避けさせることに繋がる。

 もし二つのモードの隔絶が長い間続いてしまうと、心のセンターが他の二つのセンターを混乱に陥れる。思考のセンターはバランスを欠き、不健全なタイプ3は強迫観念的な思考パターンを発達させてしまったり、彼らの感情面の問題を引き起こしたと彼らが考える人々の責任を追求する(訳注:名誉を傷つけられて怒るとか、バカにされて怒る、みたいなことか?よく上遠野さんのんちょい役に出てくるキャラのような)。本能センターがダメになるにつれて、不健全なタイプ3は薬物乱用や自己ネグレクト(訳注:自己卑下とか自己無視か?ハチクロの竹田くんのような)を示し、世の中に有効に関わる技能がないんじゃないかと疑念を抱く。

 タイプ3が成長すると、健全なタイプ3はそれほど自身の機能モードに自らのアイデンティティを求めなくなり、彼らの心と機能を統合させはじめる。自分の思いについて正直になることを、自分自身で許すのだ。健全なタイプ3は、どのような活動に従事していても自身のほんとうの思いを認めることを、望む。もしそのことが彼らの機能性を低めたり、他人からよく思われなくても、そう望むのだ。彼らがそうできるようになってくると、タイプ3は無意識的な感情がもたらす行動に動かされることが少なくなり、心の本質的な深いエネルギーが花開く。

 

 

タイプ4:個性のある人

 タイプ4も心のセンターにアイデンティティを持っている。タイプ4はタイプ2に似て、アイデンティティと自身の価値への疑問が心を占めているが、しかしタイプ4はタイプ2とは違った心のセンターからの阻害への対処を行う。タイプ2が自身の感情をや価値への疑いを、行動によって覆い隠すが、一方タイプ4は、自身の感情や価値について、考えることで解消するのだ。健全な範囲のタイプ4は自身の感情や反応によってアイデンティティを保たれているが、しかしそれでも自身の感情とのつながりを欠いていると感じているのだ。彼らは、何かつながりが欠けていると知っているのだ。

 チャプター4で議論してきたように、通常の範囲のタイプ4は自身の感情的なムードを強めるために思考を使い、そして今私たちは、なぜそうなのか検討することができる。タイプ4は心にアイデンティティを置いているが、心のセンターとの欠落を脅威に感じているのだ。それゆえ彼らは思考センターを心のセンターと同時に使う。そのことにより、彼らのロマンティシズムやエロティシズムやバロック的なファンタージなどへの好みが説明できる。それゆえ、通常の範囲のタイプ4は豊かなファンタジーライフを発達させた、彼らの感情的なムードを維持するために。特に、ネガティブなムードを。言い換えれば、通常の範囲のタイプ4は、特定のムードの中におりそれを維持するために思考を使うのだ。自身の中の心のセンターの真の資質が阻害されていることに気付いているために、それを埋めあわせるため、彼らは特定のムードを(とりわけ悪いムードを)長引かせるのだ。

 不健全な範囲にタイプ4が落ちると、阻害された心のセンターは思考センターとごちゃまぜになるだけでなく、行動ー本能センターともごちゃまぜになる。不健全なタイプ4は彼らの感情を満足させるもらえるものならなんでも乱用する(薬物乱用や放蕩にふける)。行動ー本能センターは歪んだ本能とともに機能し、健康や技能やよりよい生を害するような、退廃的で自己破壊的な活動に陥る。最悪の場合のシナリオでは、タイプ4は自殺を試みる。彼らの本能は感情の乱れに付き合わされてしまうのだ。

 その逆では、健全な範囲のタイプ4は心のセンターにアイデンティティがあり、しかし思考をおかしな使い方に駆り立てることはしなくなる(乱用しなくなる)。それにもかかわらず、タイプ4は自身について何か失われたものがある(欠けたものがある)と感じるが、それがしばしば創造性の源となる。しかしながら、健全なタイプ4は、その欠落感こそが、それを埋めることを動機付け、永続的な価値とアイデンティティに向かわせる。

 

タイプ5:調べる人

****他者の訳******************

 

 タイプ5は第一に思考センターと同一化しているが(下線のついたT)、通常の範囲において、思考は感情センターと混ざっており、不健康な範囲になると、動作-本能センターともアンバランスになる。

 より健康なタイプ5さえ、頭と同一化しており(「我思う、故に我あり」)、思考過程の資源や背景の代わりに、自分の思考と同一化し始める。

彼らの自己感覚は、ずっと精神が張りつめていることや(maintaining a certain mental intensity)

物事の本質(nature)に対する洞察を持っていることに結びついている。

しかし、タイプ5は次第に、思考センターの本質、とくに内面的な導きと静かな頭とのつながりが妨害されていること(blockage)を補う手段として、自分の思考について病みつきになる。

 タイプ5が通常のレベルになると、思考は感情と混ざり合い始める。

感情はタイプ5の思考に感情的な効果をつけ加え、彼らの思考をより活き活きとリアルに感じさせる。アイディアや空想、その他の精神活動との同一化がより激しく、消耗的になる。

従って、通常のタイプ5は実際の自分の生活よりももっとリアルに感じられる自分自身がつくりだしたものの中のリアリティのうちに住み始める。

 あるタイプ5は「私には関係性を持つ必要はない。

私は頭の中に全てのことを描きだすことができる。何が起こるのか知っている」と言う。

これはゲームやコンピューター、その他の現実や精神的なモデルの代替物に引きつけられることもまた導きだす。

 同時に、タイプ5の精神活動が激しくなると、感情的なエネルギーも上がるので、

その自然な機能が利用できなくなる。言い換えると、感情は感情に応じられない。

この傾向が続くと、通常のタイプ5は自分のアイデンティティと価値の感覚から遠ざかり、ますます他者と感情的に結びつくことができなくなる。深く同一化したタイプ5は、この事の必要すら認識できないかもしれない。

 不健全な範囲において、感情的な思考(emotionally charged thinking)はさらに激しくなり、

動作-本能センターもまたアンバランスになる。

タイプ5の張りつめた内面世界が支配的なリアリティになると、

基本的な身体的必要性に気づかなくなる。

食事は不規則で不健康になり、睡眠の型が崩れ、

衛生や基本的な快適さのレベルは非常に制限されるか存在しないも同然である。

彼らは極端に孤立し、エクセントリックでだらしなくなり、人との接触を断ち、最終的には自分自身の体を大切にする能力を失う。極端に不健全なタイプ5はまた自殺する傾向があり、それは生の本能の完全な否定であり、狂った頭が動作-本能センターを全面的に無効にすることである。

 反対の方向に進むと、タイプ5は思考と感情を識別すること、

つまり感情が生じたときにそれを認識し、思考に同一化するのではなく思考を観察することを学ぶことの両方、によって成長する。

 彼らは動作-本能センターを包含する(include)ことを学ぶことによって、つまり自らの身体や身体的なリアリティに、より基づくようになることによって、これができるようになる。彼らがより存在するにつれて、より思考に同一化することが

少なくなり、タイプ5は純粋な気づきの感覚(pure awareness)を認識しはじめ、その静かな頭は自らの思考を、感情や本能、内面的・外面的環境の全ての側面と同様に

取り込む(take in)ことができるようになる。やがて彼らの同一化はアイディアや思考過程への執着(attachment)から

静かな頭のより広々とした質に変わる。

 

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タイプ6:忠実な人

****他者の訳******************

タイプ6のアンバランス│T│F M

T(思考センタ)ーがボックスに入っており、

  F(感情センター)M(動作-本能センター)が連鎖あるいはごちゃまぜになっている。

 タイプ6は他の根元的タイプと似たパターンを持っている

思考が他の二つの機能から断絶されている

タイプ6は静かな頭と接続したり、自分自身の内面的な導きを信じるのがもっとも難しい

結果として、タイプ6は自分自身の外側に導きと支持を探す

タイプ3との比較を抜かし完訳)

タイプ6は機能の二つのモードを持っている

ひとつは思考モード、もうひとつは「義務モード」である

タイプ6が義務のモードにいるとき、つまり彼らが感情や動作-本能センターとのコンビネーションによって動かされているとき、タイプ1やタイプ2に似る

彼らは活動的になり、サービス指向になり、コミットし、彼らがすべきだと感じたことに対して重い責任をとることができる

このモードではまた頻繁に強く感情的な反応を起こし、しばしば行動化される

これらの反応は彼らが義務モードにいる間起きるので、彼らの思考センターは彼らが経験していることについての見通しや、識別、客観性を与えることに従事していない

それに比べて、思考モードにいるときには、タイプ6は多くの異なる考えや見解を受け入れ/考慮し/検討する(entertain)が、

彼らはそれらを生活の他の部分に統合したり、バランスをとって評価することが不可能に見える

なぜなら彼らの思考は彼らの他の経験や感情や身体に基づいていないからだ

この状況によってつくられた心配は、タイプ6に自分自身の思考過程を疑わせ、彼らの外側にある他の源泉に導きを探させる

外側にある導きの源泉の価値を測る際に、タイプ6は彼らの感情的な反応や直感に頼る傾向がある。タイプ6は十分にメッセージを聞くためのメッセンジャーを望む必要があると言ってよいだろう(…that Sixes need to like the messenger in order to fully hear the message)

訳を訂正

タイプ6は導きのメッセージを聞くための、直感などのメッセンジャーを望んでいるのだ。(?)

 

もちろん、タイプ6が内面的な導きの代替物であるいくつかの思考のシステムに黙従する(do buy into)場合には、人生が少しの間たやすくなるだろうが、彼ら自身の本質的な導きや支持を知ったり感じる能力の発達は遅れる

タイプ6の感情の質は彼らが信じている他者への献身や、熱心さ、コミットメントによって表される

それは海兵隊が彼の親友を守るために手榴弾に飛びつく(jump on)のによく似ている

したがって通常のタイプ6は「行為者(doers)」ではなく、

「行為者-感じやすい人(doer-feeler)」である

これは結果として個人的な暖かさや、責任能力、コミットメントになるが、不健全な範囲になると、大義や人への不合理な狂信や、反対に集団や個人への不合理な偏見となる

タイプ6のレベルが下がると、彼らの思考と感情の間の分離が拡大し結果として、あまり健全ではないタイプ6は導きと支持の包含するシステム全体からより分離する

同時に、彼ら自身の思考は感情や本能とさらに結びつかなくなるので、いよいよ歪み、リアリティと関係なくなる

彼らの歪んだ思考の激しいエネルギーは彼らの感情や本能をかき回し、汚染する

結果として、妄想、偏執、燃えさかる憎悪が不合理な怖れからうまれる

歪んだ思考パターンが彼らの本能に影響を与えると、

不健全なタイプ6は彼らの妄想的な考えを行動化する可能性が高い

極端な場合になると、とても不健全なタイプ6は暴力に訴えるかもしれない

だが暴力は必ずしも個人的なものではない

なぜなら傷ついた感情よりはむしろ歪んだ思考に基づいているからであるこのような行動は政治的、イデオロギー的、あるいは社会経済的な理由、あるいは単に主張するために起こすことができる

上遠野作品で、義憤と私憤を置き換えて復讐しようとするものが多い(夜明けのブギーのおっさんのように)

自分自身を成長させるとき、健全なタイプ6は彼らの思考を他の二つのセンターに統合することに焦点をあてる必要がある

タイプ6は思考が減速し、「静かな頭」が現れるまで十分に長く

思考を存在するままにすることを学ばなければならない

(Sixes must learn to stay present to their thoughts long enough for them to slow down…)

これはしばしば心配を増大させることを伴うが、それはタイプ6にとって、彼らが同一化している考えや信念とは別の何かを信じることが難しいからである

けれどももし彼らが自らの内面的な静けさに十分に入っていくならば、タイプ6は探し求めていた本質的な支持と導きをおのれ自身の中に見つけ出すのである

 

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タイプ7:楽しむ人

 タイプ7もまた思考に同一化している。タイプ5や6と同様に、タイプ7もまた思考センターの本質的な資質から阻害されている:一般的に、タイプ7は特に静かな内面が阻害されている。静かな内面は精神を静かに保つことで、リアルな把握と内なる導きを生じさせるものだ。この阻害を補償するため、彼らは行動ー本能センターを、彼らの思考を元気付けるために使う。(おいおい!私の心が静かになり始めてしまった!何かしなきゃ!)。

 外からみると、タイプ7が彼らが行動と同一化していることは明らかである、なぜなら彼らはとても活動的だから。しかし実際彼らは思考に同一化されているのだ、何をしているかというよりそれについて考えることに。この証拠は次のような事例に見られる:タイプ7はとても活動的だが、彼らは何をしている時でも、他のことについて考えているのだ。通常の範囲のタイプ7は、彼らの関心は現在関わっている活動に向けられていない。むしろ、これからすることに関心を向けているのだ。このためしばしばタイプ7は気が散っている。

 通常の範囲のタイプ7は彼らの活動を思考を元気付けるために使っているため、現在取り組んでいることに十分に満足したり、深く体験したりということはない。また、自身の思索に満足したり深く思考体験をしたりということもない。真なる思考と隔絶しているため、通常の範囲のタイプ7は十分に感動することはない。これが大きな理由なのだ、なぜタイプ7が自分に影響を与えてくれるものを求めて、いろいろな環境や経験を探求するかということの。彼らは、静かに待ったり、精神の中から湧き上がる深いものを待つかわりに、不安になり活動に参加することで、本能を通して彼らの思考を元気付けようとするのだ。

 タイプ7にとって、心は三番目のセンターであり、未発達の領域である:彼らのエゴにとってそれはほとんどアイデンティティの一部ではない。これはもちろん、タイプ7の心が感じることができないということではない。彼らの関心は、心の深みに触れるより、思考と活動に占められているのだ。通常の範囲で、タイプ7は心の動きを感じるが、それを言葉には出さない。彼らは可能な限り幸せな感じを望むからだ。タイプ7はまた、本能センターからくる興奮やエキサイトする感じや、恐れからくるヒステリーこそが、感情だと、間違って捉えている。タイプ7は、高いレベルの興奮がそのまま、幸せやよく生きることとに繋がると考えてしまっている。これまで心のセンターで私たちが議論してきたように、心の本質的な機能というのは、単なる感想ではないのだ。どのケースにおいても、タイプ7は自身の思考と活動に同一化しており、そのことが、彼らを心の領域の開拓から阻害するのだ。

 しかし、不健全な範囲では、タイプ7は不安が、思考センターと行動ー本能センターに制限をかける。思考を元気付けるために、心のセンターが動き始めるのだ。不健全なタイプ7は気分がかわりやすくなったりする。この状態では、ヒステリー的な反応やパニックが生じ始める。タイプ7の思考センターと同様に、心のセンターも過剰活動になるのだ。

 逆に、タイプ7が成長するにつれて、思考から本能を解放し始める(意訳:思考によって本能が歪まされなくなる)。それにより、タイプ7は自分自身でゆっくり考えることを自身に許す。しかしこれは不可避的に不安を呼び起こす、なぜならタイプ7は思考と同一化しており、思考を鎮めることは、彼らにとって絶望(がっかり)しているように感じられるからだ。それはあたかも生気を失ってしまうように感じられるのだ。しかし、もしタイプ7がこのプロセスに留まることができたなら、静かなマインドが現れ、思考や活動に逃げ込むことで恐れをなくそうという気がなくなる。タイプ7はそれから雄大な現実に心を開き、彼らは、ずっと探していた自分の心を満たすものを発見するだろう。

 

タイプ8:挑戦する人

 タイプ8は行動ー本能センターに基本的に同一化している。タイプ8は強く自身の身体的なエネルギーやバイタリティとつながっており、また、直接的な経験や反応とつながっている:彼らは刺激とともにあるのだ。健全なタイプ8は大量の本能的なエネルギーとパワフルな力に満ちている。彼らは強く身体と同一化しており、そして身体を守ったり、身体とともに何かするのを好む。この本能のエネルギーは常に彼らを活動や自己主張へ向かわせる。

 しかし、通常の範囲のタイプ8は、本能のエネルギーはは、思考センターとごっちゃになっている。このコンビネーションはいわゆる抜け目のない人格を作り上げる、客観的でもなければ自然なエネルギーに満ちてもいない人格を(訳注:自分自身の身を守るようなせこい抜け目のなさ、ということか)。タイプ8は常に戦略を練り、身体的なニーズを満たすために常に考えている:安全、セキュリティ、お金、セックス、食べ物などなど。それゆえ、彼らの思考センターは現実を自由に探求したり内なる導きを信じたりすることから自由ではなく、本能もまた状況から自由ではない。

そうか!タイプ8の成長した「無邪気さ」というのは、身体的なニーズにとらわれることのない思考の探究心を意味するのか!)

そして多くの場合、タイプ8は思慮が足りない行動をとってしまう。

 通常の範囲のタイプ8において、本能エネルギーは自分だけでなく他の人々にも生きる上での情熱を行き渡らせ、自己主張の必要性を教えてくれる。しかし、不健全な範囲のタイプ8は、そのエゴはかなり本能センターに同一化してしまっており、思考センターだけでなく感情センターも乱れる。このレベルになると、彼らの情熱は消え失せ、生存と支配をめぐる無情な探索へと移行してしまう。(ジョジョの話みたいだな)。彼らは他人を気にかけることを辞め、自身の感情的なニーズにも硬直する(無感情になるという感じか?)。ひとたび各センターが乱れると、彼らの心の思いは暗く、執念深くなる。彼らの生の本能と歪んだ思考と傷つけられた感情は、生きることに対する怒り狂った反逆になる。結果として、タイプ8に関わる人々の全てを破壊してしまう。

 一方、このパターンはタイプ8にとって、自身の心と接することが即座にメリットをもたらす、ということでもある。通常の範囲において、タイプ8は心に触れることが可能ではあるが、概ね抑えられている。このセンターに彼らの意識を当てることで、タイプ8はよりバランスがよくなる。それゆえ、多くのタイプ8はボランティア活動に多大なる癒しと満足を発見することが多く、また、弱い立場の人や弱い人を守ることについても同様の思いをする。犠牲になった人々や不当に扱われた人々を持ち上げることによって、タイプ8は、とても困難な思いをするのにもかかわらず、自分たちの怒りや悲嘆から自由になるのである(つまり、他人の不当な状況を救うことで自身の感情を救うってことか)。

 タイプ8には他にも成長する手段がある、それは彼らの思考と本能の衝動を区別することである。彼らがそれをできるようになると、自分自身中に、さらなるインナースペースを発見することができ始める。この時彼らは未だ行動志向ではあるが、しかし彼らはその行動から湧き上がる、自身の中の堅実さや安定と平和を見つけるのである。かつまた、彼らの志向センターが本能センターの支配から自由になるにつれて、タイプ8は自身の中の明晰さと内なる導きにつながることができる。こうした成長はタイプ8にずっと続く生きている感じ(sense of Being を与え、そして調和(wholeness)を発見することになるであろう。

 

タイプ9:調和を作る人

タイプ9は本能センターの根元タイプであり、それゆえ行動ー本能センターと他の二つのセンターのつながりが断たれている。タイプ3や6のように、タイプ9は二つのモードで機能する。タイプ9は本能モードか、思考と心が結合したデイドリームモードで機能するのだ。

 彼らが本能モードで機能している時、タイプ9は休んでいるかもしれないし、あまり頭を使わず感情を動かさない何かしらの望まない活動に従事しているかもしれない:彼らはルーティーンを守りそれを身体がなすがままにするのだ。タイプ9は報告している、彼らがこのモードで動いている時、彼らは心地よく活動に参加したり瞬間瞬間を感じているが、しかし彼らの思考と感情は動かされることはないのだと。身体はリラックスし、なすべきことを成すが、自身のパーソナリティは関与していないのだ。デイドリームモードにおいては、彼らの本能エネルギーとのつながりは断たれ、全ての経験は同等の刺激と同等の価値を持つ。タイプ9は彼らの主体性や望みと無関係に、全ての可能性と展望を見る。あらゆることは可能であり、そして切迫するものは何もない。タイプ9は様々な活動をある程度こなすかもしれないが、彼らは、自身を外の世界に連れ出してくれるような内部の力を発生させないのだ。なぜなら、彼らは自身の中の本能の力と接していないからである。

 彼らがデイドリームモードに居る時、タイプ9は思考と感情に満ちており、哲学的な物思いにふけったり、計画を考えたり、空想を描いたりする。彼らはまた、とてもクリエイティブにもなりうるが、自分自身の利益のために物事を進めたり継続したりすることに困難を抱えている。それは、彼らが自身の本能エネルギーから隔離されているためである。このモードの時、彼らは自分自身から隔離されている。身体にもっと根ざすことは、彼らが経験したことや達成したことをよりリアルに感じさせ、充足感を得ることができる。他の二つの根元タイプのように、彼らは二つのモードを行き来する、身体に根ざしており快適だが無関心なモードと、クリエイティブだったり洞察力に満ちているが活動から切り離されているモードである。

 タイプ3が彼らは自身の価値やアイデンティティを他人の反応の中に感じ、またタイプ6が導きや支えを自分の外に探すように、タイプ9は活力や身体に根ざしている感を、他人との関係の中に探し、見出す。自分自身のための人生を切り開く代わりに、多くのタイプ9が自分が望んでいることは、誰かほかの人の人生の一部になることだと自分に言い聞かせる。これが、基本的な自己矛盾を引き起こします:タイプ9は生きている感覚やバイタリティを他人に委ねたいのに、しかし同時に、彼らのエゴは自律感覚(自立感覚)を保ちたいのです。それゆえ、通常の範囲のタイプ9は、空想の中で他者に溶け込み、そして、リアルな自分と他者の関係に対して鈍感になってしまうのです(健全ならリアル活動で自他の区別をなくすが、そうでなければ空想で自他の区別をなくす)。無意識的なレベルにおいて、実はタイプ9は自分が溶け込みたいと思う他者も好きではないということもあります。しかし彼らは他者の強さや活力や身体的なエネルギーに引き寄せられるのです(attracted)。そして彼らは、その他者のエネルギーとつながりたいがために、実は自分にとって害になったり困難な他者との関係を維持しようとしてしまうのです(※DVを受けてても離れられない人みたいだな)。

 他の根元タイプであるタイプ3や6と同様に、タイプ9も自身のセンターのエネルギーに対して恐れを感じている。タイプ9は本能のエネルギーが沸き起こることに対してである。あいまいでふわふわした彼らの意識は、突如として激しさを持ち興奮し、彼らの平穏をこなごなに打ちくだく。それが起きるやいなや、通常の範囲のタイプ9は様々な方法で本能のパワーを鎮め、そのエネルギーに関わらないことで感じる安全を取り戻そうとする。この状態が続くにつれ、タイプ9は呆然とし、疲れ、無感動状態になる。経験がもたらすはずの腹の底からのインパクトから目をそむけることで、不健全なタイプ9は人生を観客のようにやり過ごしてしまう。

 逆の方向では、タイプ9は真に求めているものを見つけるため、また、自分の望みを着実に実行させるため、行動ー本能センターと、志向センターや感情センター間のバリアを解かなければならないのだ。彼らは、自分自身の強さを主張して良いことを理解する必要がある。タイプ9が徐々に自身のパワフルな本能エネルギー(とりわけ怒り)を感じることを許すと、彼らがずっと探していた、活力と安定性を、見出すことができるだろう。

 

タイプ1:改善する人

 タイプ1のエゴは基本的には行動ー本能センターの阻害と同一化している。タイプ1は結果として、彼らの本能エネルギーに触れることなく、また、心の感じ方にもトラブルを抱えており、何が正しいかという感覚に囚われている。その阻害を埋めるため、彼らは感情エネルギーを、活動のためのエネルギー源として利用している。心と本能エネルギーからくる怒りは、私たちを動機付けるのにもっとも有効なものだ。(子供達が飢えている、それに対して何かするべきだ!””この部屋は汚すぎて、耐えられない!綺麗にしなきゃ!など)。もちろん、全ての人は何か行動を起こす時にこの感情を使っているが、しかし通常の範囲のタイプ1は最もこの怒りに執着しているのである。

 しかしこのパターンは、通常の範囲のタイプ1をリラックスから遠ざけてしまい、彼らと、本能センターの持つ力の流れや、現在性、どっしりした感じとの接触を失わせるのだ。一度タイプ1がこのパターンにハマってしまうと(同一化してしまうと)、彼らは自分自身や他人に対してずっと怒ったりイライラした状態になる。これは、彼らが本能エネルギーから阻害されていることの埋め合わせなのだ。結果として、通常の範囲のタイプ1は無意識の感情からの邪魔なしに行動できず、そして行動することなしに、自身の感情を感じることができないのだ。彼らは自身のことを合理的と捉えているが、実際は感情のエネルギーに突き動かされているのだ。タイプ1は、彼らが表出する怒りに対して向き合いケアをする必要があり、そうすれば彼らの立場やプロジェクトに対して元気いっぱい関わることができる。

 タイプ1はしばしば合理的に思考している人と見られるが、しかし、静かで心を開くという思考センターの特徴はタイプ1は有していない。もちろん、これは彼らの思考能力や知性とは関係のない話で、彼らは難しいトピックについても深く考えることができる。しかし思考センターは、彼らのエゴのベースとはなっておらず、同一化のもつれ目の一部ではないのだ。

 代わりに、タイプ1は実践上の行動者だ。彼らは、実践とは無関係な、終わりのない探求や知識の追求に時間を費やすことはない。さらに言えば、タイプ1は、タイプ9のように、何か人生上の包括的な哲学を信じているかもしれない。しかし、それは彼らの活動を守り支えるためのものであって、何か新たな可能性を開くものではなく、単に心の支えにして心を鎮めるためのものだ。原理的に、強い確信と、ルールを守ることが、本能センターの活動として表出する。もし私たちが自身を観察した場合、から強い意見が湧き上がってくるのを感じると思う。(くじらを救え!””遊びの前に仕事だ!等)。もちろん、何かしらの考えがそれらの意見を支えることもあるかもしれないが、しかしその源泉は思考センターにはないのだ。

 不健全な範囲のタイプ1において、彼らの思考は本能や感情と共に乱され、結果として、分別を失い、柔軟性のない意見にとりつかれる。通常の範囲のタイプ1が(自分の決めた)規律を破ることに対して罪悪感を感じてしまうのに対して、そういう行動をとる不健全なタイプ1は、普段の言動と矛盾する行動をとっていても、その行動を説明する合理的な理由をでっちあげる。(例えば、酒を飲み過ぎても「疲れてるからしょうがない」とか?)。そしてその理屈付けは、他人の言動を咎めることと矛盾する。

 一方、彼らの三番目のセンターである思考センターに目を向けること、静かなマインドを学ぶことは、タイプ1にとってとても助けになる。彼らの意見と確信(確信したいこと)が相対的なものであることを、静かなマインドは理解させてくれる。彼らのアイディアや提案には真実が確かに含まれているかもしれないが、しかしそれが最善または妥当な道とは限らないのだ。これは、彼らに、真実に対する、よりベターで、より柔軟な態度をもたらす。マインドを鎮めることで、タイプ1は内なるジャッジメントと批判を追いはらい、そしてそれにより彼らは適した行動をとることを助けてくれるような、自分自身や周りの環境と直接関係をもてるのだ。

 タイプ1はまた、自身の感情の反応と本能の衝動を区別することを学ぶことが、より自身の助けになるだろう。本能の代わりとしての、確信することや情熱的になることをやめ、そして本能センターの満たされない感覚に身を委ねるべきなのだ(?)。彼らがそうしたとき、本能センターのどっしりとした感じや、一定不変な感じや自立性の本質的な力に触れることができるだろう。彼らの行動はより意識的で、緊張感を増すことなく直接的になる。同時に、彼らの心のセンターは、本能センターとのもつれからほどけ、経験がもたらす価値を深く感じることができる。タイプ1はもはや、完璧さにとらわれることがなくなるのだ。彼らは自分自身や他人への深い思いやりを感じる。

 

 

 

★パターンの深い意味

 もし私たちがこれまでこのチャプターで話してきたセンターの乱れについてもっと詳しく知りたいなら、色々と実例から明らかにしていく必要がある。

 まずホーナイの分類を手がかりに検討してみよう。これは、三番目のセンターによる分類と言える。例えば、遊離タイプ(タイプ4、5、9)は本能センターを三番目または未発達のセンターとしており、通常の範囲では思考と心のセンターが絡まっている。遊離グループは、自身の体や本能をアイデンティティの一部だと思っていない(同一化していない)ため、体に根ざした内面的な力を経験することがあると、彼らはとても驚いてしまう。

 この三つのタイプは、心のセンターと思考のセンターの混合と乱れからなる、空想、思考、そしてムードを、深い現実のように勘違いして捉えているのだ。

 追従タイプ(タイプ1、2、6)は思考センターを三番目か未発達のセンターとしている。通常の範囲において、彼らのエゴは本能センターと心のセンターに同一化している。このタイプ全ては、静かで需要的なマインドからくるはずの内なる導きや正しい認識に対して、心を開いていない。彼らは実際の思考や導きの代わりに、信念や組織やルールや決まった処理方法(アルゴリズム)でそれを代用するのだ。これらのタイプはまた、生きる上での様々な曖昧さや不明瞭さに耐えられない。(→これ、タイプ1や2に転ぶタイプ4や、タイプ6に転ぶタイプ9の特徴でもあるな。先の不透明さに耐えられないからすがりつく。)彼らは、自分と周囲との関係や自分と組織との関係や自分と価値体系との関係に対して、それがどのようなものかはっきりさせたいし、それらとの関係性について知っていたいのだ。

 自己主張タイプ(タイプ3、7、8)は心のセンターを三番目のセンターまたは未発達のセンターとしている。通常の範囲において、これらのタイプは思考センターと本当センターの結合に同一化している。心のセンターの本来の機能はハートにあり、私たちに自らの心情について触れる技能をくれ、また、私たちの経験に影響を与えてくれる。またこのセンターの機能は私たちの価値とアイデンティティの源泉でもある、自分自身や他人との本来のつながりを私たちに提供することによって。自己主張タイプは、心のセンターによるアイデンティティを埋めあわせるのだ、興奮の感覚をもたらすような激しい活動に従事することで。激しい活動が、心を開いたり経験から影響を受けることに置きかわってしまっているのだ。かつ、そうした活動による達成や勝利やステータスに伴うエゴのインフレーションが、心のみが与えてくれる真実の自身の価値やアイデンティティに置き換わってしまっているのだ。

 

ホーナイの分類が明らかにする、未発達のセンター

 

★セラピーの考え方とセンターの関係

広い意味での精神の安定には、三番目のセンターを適切に発達させることがとても必要です。三番目のセンターを働かせることは、私たちに安定感をもたらし、それがさらに私たちを深い段階の成長に誘うのです。(一文略。よくわからない)。次に示すことは、通常の範囲の人にとって、不健全な範囲の人より、三番目のセンターを正しく昨日させることがなぜ容易いか理解させてくれるでしょう。人々が不健全な状態になってしまうと、3つのセンターが全て乱れてしまい防衛戦略に閉じこもってしまうのです。(一文略)。それゆえ、不健全な範囲の人に対する、助けになるようなセラピーの戦略としては、3つのセンターを全てサポートする必要があるでしょう。しかしこのような極端な場合でさえ、三番目のセンターに適切な注意を払わなければ、不健全な人の防衛を解くことはできないでしょう。そのような人は、どのように他の二つのセンターを活かして良いか、それまでの生きてきた環境からは検討がつかなかったのです。

 通常の範囲で機能しているほとんどの人にとって、三番目のセンターを働かせることは、その人のパーソナリティにとって、客観性とバランスを急速にもたらすことになるでしょう。しかし、ずっと続くようなブレークスルーは、自身の二番目のセンターに目を向けなければなりません。もし人々が他の乱れた二つのセンターに目を向けず、三番目のセンターを働かせることにのみ関心を払えば、確かに彼らは安定しますが、しかし本質的な認識の発達は望めないでしょう。

 しかし毎日のバックグラウンド的な修行は、三番目のセンターに基づくべきです、ホーナイのグループで示された、遊離タイプ(タイプ4、5、9) なら体に関わる(体を使う)べきですし、追従タイプ(タイプ1、2、6)なら静かなマインドを保つことをするべきですし、自己主張タイプ(タイプ3、7、8)なら心を開くことをするべきです。

 このようなバックグラウンドの修行を経て、次に焦点をあてるべきセンターが見えてきます、それはハーモニックグループによって分類されています。合理タイプ(タイプ1、3、5)は二番目に、心を開くことが必要とされています。彼らの成長にとっての触媒は、悲嘆をきちんと経験し(それをきちんと受け止め)、心のバリアを解放することです。反応タイプ(タイプ4、6、8)は二番目に、静かなマインドと、思考と認識を整理することが必要です。彼らの成長にとっての触媒は、認識と理解(現実の解釈)の歪みを正しく認識することです。楽天タイプ(タイプ2、7、9)は二番目に、物理的な体にどっしりと落ち着き、体から出るエネルギーはそれがどのようなものであっても流れるままにすることです。彼らの成長にとっての触媒は、直接的な体の経験を通して、恐れや、その他もろもろの感情を解放することです。こうした感情はこれまで体に阻害されてきました。そして、賢明な読者なら気づくかもしれませんが、主要タイプ(タイプ3、6、9)にとって、バックグラウンドの修行と二番目の修行は同じセンターなのです。これらのタイプは、隔離された元々のセンターを発達させなければいけないのです。

 以下に、通常の範囲の人にとってのセラピーの考え方(戦略)を述べていきます。しかし注意してください、不健全な範囲の人にとっては、以下の考えはそれほど役に立たないでしょう。

 各センターの乱れに対するセラピー戦略は、いくつもの方法が考えられますが、まず、(不活発なセンターを)起動させ、調和させることを目指してください。私たちがパーソナリティに囚われていればいるほど、私たちは目の前の現実を生きていない、ということになります。もし私たちの気づきが十分発達し、3つのセンターを十分に統合できたなら、何かミラクルがおきます:私たちは発見するのです、自分たちの真のアイデンティティは3つのセンターすべてにまたがっている、と。下位の各センターが乱されずバランスを保つと、高位の知性と感情センターがブレークスルーを起こし私たちの意識を変容させるのです。そのとき、私たちは真のアイデンティティを見つけるでしょう:私たちが価値と導きをすでに有しており、そして自分自身(の身体)に十分に根ざす(grounded)ことを。また、私たちは自分で思うよりずっと、特別な、美しい、ミステリアス存在であることを理解するでしょう。

  

■各タイプのセラピー実践と戦略    
タイプ 習慣的に行うべき実践(三番目のセンター) セラピーとして意識する目的(三番目のセンター and 二番目のセンター)
タイプ1 静かなマインドを開拓する 悲嘆や己の感情を感じることを許す。特に失望や憤りを感じることを
タイプ2 静かなマインドを開拓する 阻害された体のエネルギーを解放する。特に抑圧された自分自身の必要性と敵意を。
タイプ3 心を開く 悲嘆や己の感情を感じることを許す。特に自分の欠点や恥を感じることを
タイプ4 身体に根ざす 歪んだ思考と認識パターンを整理(reframe)する。特に自分自身や他人に対するネガティブな解釈を。
タイプ5 身体に根ざす 悲嘆や己の感情を感じることを許す。とくに拒絶されたり虚しさを感じることを。
タイプ6 静かなマインドを開拓する 歪んだ思考と認識パターンを整理(reframe)する。特に不安や予測から生じる思考の歪みを。
タイプ7 心を開く 阻害された体のエネルギーを解放する。特に抑圧された悲しみや後悔を。
タイプ8 心を開く 歪んだ思考と認識パターンを整理(reframe)する。特に恐れや弱さを否定してしまうパターンを。
タイプ9 身体に根ざす 阻害された体のエネルギーを解放する。特に抑圧された怒りと恐れを。


★ごっちゃになったセンター

(省略、2段落分:3つのセンターが調和することはすばらしいという話)

もちろん、私たちは各センターのバランスを取ろうと意図することはできません。私たちは、自身の特性を解放(リラックス)することを学んでいくしかないのです。(半文略)

 そして、なぜ目の前に生きること(そこに存在すること(being present))が各タイプの気づきにとって重要なのかというと、現実の存在(present)は3つのセンターを統合する媒体なのです。それぞれのエゴ(各センターのエゴ)は、個別に存在しているだけであり、それらは統合をもたらさないのです。私たちの課題は、より可能な限り現実に存在することです。現在性(present)は、本能、心、思考を調和させ、完璧な人間性を創ってくれる、唯一のものなのです。それがインナーワークのゴールなのです。

 また、各センターが正常に機能している時の、各センターが人に何をもたらしてくれるかを見てみましょう。スピリチュアルな先生のA.F.Almassは本質的な自己とエゴの構造の関係について詳細に記述しており、本質的な資質について教えてくれます。

 思考センターは、その正しい機能において、許しと、開かれた心(openness)をもたらします。基本的に、マインド(思考)が静かになり、起きていることに対して、それがどんなことであれ許します。思考が静かになると、私たちの意識を内なるおしゃべりや想像でいっぱいにすることを、しなくなります。何が次から次へと起きても、その状況の中に、私たちは安全と支えを感じられるようになるのです。

 心のセンターは経験を味わうことができ、それにより私たちは経験に十分に参加できます。心のセンターの資質は瞬間瞬間を経験することです。私たちは、自らの心をどれくらい開いているか、また自らの心に触れることを自身がどれくらい許しているか、に応じて、物事を体験することができます。もし私たちの心が開かれてなければ、私たちは、経験したことの豊かさを感じ取ることができないでしょう。心のセンターは、私たちの一部である愛と真実の資質につながります。心を開くことで、私たちは、(何が起きようと)起きていることの真実を愛し、また、不満足な結果に終わったとしても愛することができるのです。

ハチクロの竹田君や、イエうたのハルが、好きだということに意味があったのか、とか、それでも貫くのか、ということについて述べている。また、上遠野さんも、大勢から離れていても、それを貫く、ということについて述べている(ナイトウォッチ、もし彼女が真実の敵に回るなら、僕らは虚偽につこう。や、仲間を守るためだったら死んでもいいか、ということとか。タイプ6なら、その逆がハブられることへの恐怖。)。

 本能センターは、現在性(present)に根ざす。現在性がなければ、私たちは印象を思考で感じ取ったり、経験を心で味わうこともできない。身体に根ざすことによってのみ、何かを経験したとき、私たちは存在を感じることができるのだ。そうして私たちが現在に生き、その瞬間瞬間の自身の存在に満たされることができる:私たちは経験を歓迎し、その経験の中に満足に関わることができる。同時に、マインドを開くことで、内なるものであれ外なるものであり、生じていることを把握することができるのだ。

 私たちの気づきが発達し、3つのセンターを十分に統合することができた時、何かミラクルが起きる。私たちは、3つのセンターにまたがった真のアイデンティティを発見するのだ。グルジエフの言葉で言えば、下位のセンターのバランスが保たれて整理され、高次の知性と感情センターが意識を変えるのだ。その時私たちは、真のアイデンティティを見つける:私たちは価値があり、導きがあり、そして身体に根ざしており、存在に心を開いていると。(以下略)

 

 

チャプター9

中略

 

ミッシングピース

****他者の訳******************

エニアグラムの構造において逆説的だけれどもエキサイティングな要素がある。

それは各タイプをよく理解したあとにもっともよく検討することができることであり、急速な成長のキーである。

 

健全なレベル、とくにレベル1において、分裂の方向のタイプが、われわれの人格の成長のためにもっとも必要なことを指し示すことを発見した。

通常の範囲において、われわれは分裂の方向に行動する傾向がある。

なぜならわれわれは実際には未だ、その資質をわれわれの性格構造に十分に統合できていないにしても、

無意識のうちに、分裂方向のタイプによって象徴される癒しと全体性の必要性を知っているからである。

しかしわれわれがより健全になると、われわれはまた、われわれのもっとも必要とする質にアクセスし、求めるような立場、つまりわれわれの精神の極致に達するような立場に立ちはじめる。

 しかし、通常のレベルにいる人々にとって、ミッシング・ピースの質はあまりに「未知の自我(エゴ・エーリアン)」であって、

根本的に自己イメージを破壊することなしに、所有することができない。

それゆえどのタイプであっても、ただちに、あるいはバランスを崩さずに、それを得ることはできない。

なぜならだれも成長のための心理学的な素地を十分につくっていないからだ。たとえばタイプ7は受容と自己規律をまなぶ必要がもっともある。しかし彼らは直接タイプ1に向かうことで「ここからそこに到達することはできない」。タイプ1への直接的な動きは、タイプ1のより高い質をまなぶのではなく、通常の不健全な習慣を行動化する結果になる。

そのためわれわれはこの動きをタイプ7の「分裂の方向」とみなすのである。

相当の量の変容のためのワークをおこなったあとにのみ、タイプ7はタイプ1の健全な知恵を一貫して吸収することができるようになる。

 すべてのタイプにとって、自分たちの分裂方向のタイプのレベル1での質を留意することは、自分たちの完成にとってもっとも必要なことが明らかになるので、非常にためになる。

そして、われわれが実際にこの質に到達するさいに自分自身のなかにそれらの真正な瞬間を観察するのと同時に、これまでわれわれの性格がこの質をまねし、埋め合わせようとしてきたのかをみることができる。

以下の表は、これらの質をあきらかにするだろう。

 

各タイプの「ミッシング・ピース」の特徴

タイプ1 タイプ4から自分の無意識の衝動と直感を聞き、信じることをもっともまなぶ必要がある

タイプ2 タイプ8から自分自身の強さを認識することと、世界において自分自身の存在を十分に主張することをもっともまなぶ必要がある

タイプ3 タイプ9から、一貫しておこない、達成し、あるいは実行することの代わりに、どのように存在するかをもっともまなぶ必要がある

タイプ4 タイプ2から無条件に自分自身と他者を愛することをもっともまなぶ必要がある

タイプ5 タイプ7から人生は楽しく、宇宙は慈悲深いことをもっともまなぶ必要がある

タイプ6 タイプ3から内部志向型(inner-directed)であることと自分自身を尊敬することをもっともまなぶ必要がある

タイプ7 タイプ1から人生をあるがままに受け入れ、より高い目的のために生きることをもっともまなぶ必要がある

タイプ8 タイプ5から謙虚さと、より長期的な見地からの自身の真のあるべき位置(true place)をもっともまなぶ必要がある

タイプ9 タイプ6から自分自身を信頼し、逆境で成長することをもっともまなぶ必要がある

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