物語における序列の力学と距離の力学__少年漫画と少女漫画

 

物語では、主人公たちは小さな勝利と敗北を繰り返す。

では何をもって勝利や敗北とみなすのか?

それを決めているのが、人がそもそも何を勝利や敗北とみなすかで、そこには性差がある。男性か女性かによって、何を勝利や敗北とみなすかが大きく異なるのだ。

例えば少年漫画では、男性の認識が勝敗を決める。典型的な少年漫画である、ドラゴンボールジョジョの奇妙な冒険ハンターハンターでは、序列の力学が勝利を決める。相手より上になれば勝ちで、下になれば負け。物理的に勝利することが勝利であり、物理的に敗北することが敗北である。なぜなら、男性が序列の力学に勝敗を見出し、それが少年漫画に反映されているからだ。

また、序列という観点からみれば、相手にされないほど見下されるのは敗北であり、相手を見下す立場にいるのは勝利である。ジョジョの奇妙な冒険において、「その階段に足をかけるんじゃあねぇーーーーッ!オレは上! きさまは下だ!!」という言葉があるが、男がどれだけ序列を気にかけるかが象徴的にわかりやすい。また、ハンターハンターで主人公がピトー(勝利や敗北とみなすか)に相手にされないシーンがあるが、その時の敗北感はとても大きい(ピトーが主人公を無視して、傷をおった主人公の恩人と戦うシーン)。

この序列の力学は、「いちばん」を目指すというルールでもある。これは男が幼い頃から死ぬまで保たれるルールで、あなたが男であればこどもの頃に以下のような会話をした記憶があるかもしれない。

例えば、あなたを含む4人の男の子が一緒に座っており、誰がバットでボールを一番高く打ち上げられるかという話をしている。一人の男の子が「ぼくが打ったらここまで上がるよ」と頭の上を示す。すると別のひとりが「ぼくが打ったら空まで届くよ」と、さらに高いところを指差す。3人目の男の子がそれに対抗して「僕だったら宇宙まで届く」と言う。4人目に至っては、「僕のボールは天国まで届く」と言う。この言葉のやりとりは、明らかに序列をめぐるゲームと言える。ひとりひとりの発言が、すぐ前の話者の言葉を上塗りするように進めていく言葉のゲームだ。

 

一方、女性は距離の力学を重視する。これは共感からきており、「どれだけ相手と近いか」や「つながりがあるか」をめぐる勝敗だ。ここでは、好きな相手や周りのものと親密になれたら勝利で、逆に遠ざかったら敗北である。

例えば、君に届けという漫画では主人公は周りから浮いていて、とても距離がある。主人公は陰気で周りから怯えられているのだ。物語の始めではそういう敗北状態にある。その彼女が、クラスのみんなに認められたり、人気者の少年と親密になったりと、徐々に距離が近づいていくところに物語の勝利がある。

この距離の力学は「おんなじ」を目指すルールでもある。もしあなたが女であれば、こどもの頃に次のような会話をした記憶があるかもしれない。

あなたを含む二人の女の子が小さなテーブルの前に座ってお絵かきをしている。一方の女の子が突然顔を上げ、もう一人の女の子(あなた)を見て話しかける。「うちにくるベビーシッターのお姉さんは、コンタクトレンズをつけてるのよ、ずっと前から」。あなたは一瞬きょとんとするものの、すぐに笑顔で答える。「私のママもコンタクトをつけてるのよ、ずっと前から。パパもそう」。最初の女の子は、このオウム返しの返答に対して、さらには相手が言い回しまで合わせてくれたことに対して、にっと笑う。そして「おんなじね!」と言う。

 

そしてこれらの「序列の力学」と「距離の力学」は、物語中では問題解決の鍵となる。

少年漫画であれば、何かの問題が生じた場合、「物理的に勝利して」解決し、少女漫画では「距離的に近づく」ことで解決するのだ。逆にいえば、何かの問題があったばあい、少女漫画では「いちばんをめぐる力比べ」で解決するか、少女漫画では「親密さをめぐる距離比べ」で解決するように、無理やり話を作るのだ。

そこが一致すると、物語を読んでいる方は心情的に理解しやすい。例えば、少年漫画では、すべての悪いことは敵が行い、その敵を物理的に打ち破ることであらゆる問題が解決するのだ。逆に少女漫画では、すべての悪いことは主人公と相手(周囲)の距離が遠いことから発生し、距離が近づくことであらゆる問題が解決するのだ。そういうお話になった場合、読んでいる側はすっきりする。

そもそも物語に限らず、現実でも、それぞれの力学における「敗北」が「勝利」に転じれば、世の中の問題が解決すると考えがちだ。

例えば税金が高いのは、男性だったら「誰かが不当に金を巻き上げている(ずるい勝利)」のせいであり、女性だったら「えらい人が他の人の立場を理解しない(距離的に遠く理解してくれない)」せいで、その問題が起きている、と考えがちなのだ。だからその敗北が勝利に転じたら、問題も解決するのだ。そういうふうに考えがちだ。これは実際がどうであるかとは別の問題だ。

 

そしてしばしばであるが、「序列」的に勝利したり「距離」的に近づくことを目的にしすぎて、それが何のためか、とかを考えていないことがある。いったん達成したあと、目的を見失ってしまうのだ。例えばコードギアスというアニメでは、主人公は世界から見下されているような立場であり、反逆を開始するが、そこにはそれ以上のものはない。反逆することが目的であって、反逆の先はないため、反逆に成功した後で急にすることがなくなってしまう。同様に少女漫画ではカップルになることが目的で、その先のことが考えていなかったりするため、カップルになった後にグダグダする展開が多い。

 

そして、男女ともに共感できる物語では、しばしば「序列」と「距離」の力学を両方取り入れたりする。

たとえば「もののけ姫」では、タタラ場の人たちは、動物たち(サンたち)や地方領主と争っている。これは序列の力学だ。しかし最終的に物語を解決するのは、サンとアシタカが近づき、シシガミ様に首を返す(歩み寄る)ことだ。この物語では「序列」と「距離」の力学が融合している。

 

そしてここで、物語の盛り上がりについて考えてみよう。

別の記事で、物語の盛り上がりは「テーマの確かさがどれだけ危うくなるか」に影響されるとした。そのことと「序列と距離の力学」を重ね合わせて考えて見る。

そうすると、物語に盛り上がりを作る上でしなければならないのは、あることの確かさの強弱と、「序列の勝敗」や「距離の遠近」を連動させる、ということだ。

たとえば、クライマックスにおいては「テーマの確かさを最も失わせる危険」と同時に、「序列における敗北が濃厚」であったり「大切な人と最も遠ざかる」ことを連動させる。たとえば、序列の力学なら「正義を貫きたいのに悪に負けそうになる」ことだ。つまり少年漫画なら、主人公たちの主張とはまったく相容れない意見を持った敵は、最強の敵でなければならない。また、距離の力学なら、恋人に危険が訪れ死んでしまそうになること、などだ。このような危機と、表現したいテーマを連動させることで、物語はスムーズに盛り上がる。

 

ここでこの話は終わるが、最後に二点補足する。 

一点目。

現実でも物語でも、「序列」や「距離」の力学に勝ちたくて、嘘に発展する場合がある。男女それぞれで「いちばん」や「おんなじ」ことにプライドがあるのだ。

ある母親は、息子を含む3人の小さな男の子の送り迎えをしている時に、次のような会話を聞いた。一人の男の子がまず「この前ディズニーランドに行ったんだけど、2泊もしたんだよ」と言った。すると別の男の子が「うちは3泊もしたんだ」と続ける。次に自分の息子が答えた。「うちは今度ディズニーランドに引っ越すんだよ」。この時、息子はディズニーランドに引っ越すはずがないことをわかっているが、単に序列をめぐるゲームに勝ちたくてそう言ったのだ。

別のケースでは、ある父親が幼い娘とその友達の会話に嘘を見つけた。娘の友達がまず「あたしには、ベンジャミンっていうお兄ちゃんとジョナサンっていうお兄ちゃんがいるの」。すると娘が「あたしにもベンジャミンっていうお兄ちゃんとジョナサンっていうお兄ちゃんがいるのよ」とまったくのでまかせを言った。これは娘が、事実ではないが、お友達に好意の印として、つまり仲の良さを強調するために相手に合わせた話をしたのだ。

こういう嘘は子供だけでなく大人になっても、一生よくある。

 

二点目。

距離の力学を象徴するものとして「秘密」がある。これは距離の近さの象徴になるもので、しばしば物語に取り入れられる。(ちなみに序列の力学の象徴は「必殺技(切り札)」だと思う)

 

また、本文中の幼い子供の話は以下の記事を引用した。

『別冊日経サイエンス こころと脳のサイエンス 02 特集 男と女』