エニアグラムの囚われからの解放の道筋

 皆さんは、エニアグラムの、健全~通常~不健全という段階に対して、どのように捉えていますか?

また、エニアグラムにおける、各タイプが自身の「囚われ」から解放されるための方法として、どのようなことが大事だと思っていますか?

囚われからの解放について、とても重要な考え方があり、本家のリソの本では詳しく紹介されているものの、日本のエニアグラム関連の本では全く触れられていません。ですので、今回きちんと紹介しようと思います。

まず、前提として、各タイプは、各センターをうまく使えていません。それが囚われです。

例えば、タイプ8,9,1を考えてみましょう。

タイプ8は本能センターに位置していて、思考センターの隣です。

つまり、一番目のセンターが本能で、二番目のセンターが思考です。だから、普通に考えると「ふむふむ。ということは、本能と、思考をある程度うまく使えるのだな」と。

それは全く違います。

逆で、自分がいる場所のセンターの近辺は、うまく使えないセンターなのです。

いったん、3,6,9の主要タイプをのぞいて、1,2,4,5,7,8の副次タイプに限って話を進めることにします。

副次タイプでは、一番目のセンターの欲求を達成するための「二番目のセンターを歪んで」使います。

どういうことでしょうか?

タイプ8の一番目のセンターは「本能」で、自分自身を守り、自己主張し、世界の中で自立して存在するのが目的です。

そして、タイプ8の二番目のセンターは「思考」です。その場合、「思考」を本能が目指す目的のために歪んで使います。具体的には、タイプ8は、自身を脅かす敵を押さえつけたり感じ取るのに常に「思考」を使います。「思考」によって、策略をねったり、誰かに恐れを抱いたり、支配しようとします。つまり、それが二番目のセンターを「歪んで」使っているということです。しかも、一番目のセンターも上手く使えないため、過敏に反応し、自身の敵となりそうなものが居たらすぐに戦おうとしてしまいます。タイプ8はこのように、一番目と二番目のセンターを上手く使えないのです。ちなみに、タイプ8の三番目のセンターは「感情」です。

同じように、二番目のセンターが「思考」であるタイプ4をみてみましょう。タイプ4の一番目のセンターは「感情(フィーリング)」です。「感情」センターの課題は、アイデンティティ、自分らしさ、名誉を手に入れることです。そしてタイプ4は、二番目のセンターである「思考」を、アイデンティティを保つために使います。つまり、自分自身にアイデンティティや名誉をもたらすような、空想的なストーリーを「思考」を使って考えます。また、ちなみに、タイプ4の三番目のセンターは「本能」です。

そして、ここでよく言われる各タイプへのアドバイスをみてみましょう。例えばタイプ4をみてみると、次のような感じです。

・自分についての、現実とかけ離れたストーリーを夢想することをやめて、現実的になるように努力しましょう

・体を使う活動をするようにしましょう。ストレッチやウォーキング程度でいいので。

・気まぐれになることに注意しましょう

ここで、これらのアドバイスに対して、注目してほしいポイントがあります。

それは、各アドバイスが、「三番目のセンター」についてなのか、「二番目のセンター」についてなのか、ということです。

一つ一つみていきましょう。

・自分についての、現実とかけ離れたストーリーを夢想することをやめて、現実的になるように努力しましょう

→これは、「思考」センターを妄想的に使うのをやめましょう、という「二番目のセンター」に対するものです

・体を使う活動をするようにしましょう。ストレッチやウォーキング程度でいいので。

→これは、「本能」センターを少しは使いましょう、という「三番目のセンター」に対するものです

・気まぐれになることに注意しましょう

→これは、「思考」センターの過活動により散漫になるのを注意しましょう、という「二番目のセンター」に対するものです

つまり、どういうことが言えるでしょうか?

それは、各タイプへのアドバイスは基本的に、

「二番目のセンター」についてのアドバイスと、「三番目のセンター」についてのアドバイスの2種類がある、ということです。

なぜでしょうか?

それは、(副次タイプは)元々のセンターへの「囚われ」を直接解放できないからです。1,2,4,5,7,8のタイプは、「二番目のセンター」と「三番目のセンター」を正しく整えることで、囚われからの解放に至るからです。普通、二番目のセンターは「手段」として歪んで使われていますが、三番目のセンターは、ほとんど使われていません。つまり、単純に未発達なのです。だから、各タイプのセンターのバランスを整えるためには、二番目のセンターと三番目のセンターを整えることが必要なのです。 

それを、リソがどのように言っているかみてみましょう。リソは次のように言っています(understanding the enneagram: revised editionから)。少し長いですが読んでみましょう。 

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広い意味での精神の安定には、三番目のセンターを適切に発達させることがとても必要です。三番目のセンターを働かせることは、私たちに安定感をもたらし、それがさらに私たちを深い段階の成長に誘うのです。(略)

 通常の範囲で機能しているほとんどの人にとって、三番目のセンターを働かせることは、その人のパーソナリティにとって、客観性とバランスを急速にもたらすことになるでしょう。しかし、ずっと続くようなブレークスルーは、自身の二番目のセンターに目を向けなければなりません。もし人々が他の乱れた二つのセンターに目を向けず、三番目のセンターを働かせることにのみ関心を払えば、確かに彼らは安定しますが、しかし本質的な認識の発達は望めないでしょう。

ですが毎日のバックグラウンド的な修行は、三番目のセンターに基づくべきです、ホーナイのグループで示された、遊離タイプ(タイプ4、5、9) なら体に関わる(体を使う)べきですし、追従タイプ(タイプ1、2、6)なら静かなマインドを保つことをするべきですし、自己主張タイプ(タイプ3、7、8)なら心を開くことをするべきです。

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 と、このように、まず「バッググラウンド」としての三番目のセンターを多少発達させるようにすることと、それから二番目のセンターの歪みを直すことについて触れています。

例えば、他の副次タイプ、タイプ7とタイプ2について考えてみましょう。

タイプ7は、「思考」センターのタイプですが、二番目のセンターは「本能」です。同様にタイプ2は、「感情」センターのタイプですが、二番目のセンターは「本能」です。

すると、この二つのタイプ、タイプ7とタイプ2に共通していることは何でしょうか?

それは「本能」を手段として使っていることです。

タイプ7から考えてみましょう。タイプ7の「思考センター」の根本的に求めるものは「安全」と「安心」です。つまり、恐怖から解放されることです。それを達成するための手段として「本能」センターを使います。つまり、活動的になることで、恐怖や不安から目をそらし、偽りの「安全」と「安心」を達成しようとするのです。

タイプ2はどうでしょうか?

タイプ2の求めるものは「アイデンティティ」です。アイデンティティとは、自分らしさや、人間関係の中での存在意義ということです。タイプ2は、それを達成する手段として「本能」を使います。つまり、活動的になることで、人間関係の中で「意義ある自分=アイデンティティがある状態」でいようとするのです。

つまり、本能センターが二番目にあるタイプは、本能を手段として使ってしまうため、歪みが起きてしまうのです。

そして、先ほどと同様に、ここでよく言われる各タイプへのアドバイスをみてみましょう。例えばタイプ7をみてみると、次のような感じです。

・活動を少し抑えて、冷静に考えてみましょう

・自分の感情に気づくようにしましょう。とくに、抑圧された悲しみや後悔を。

どのセンターに対するアドバイスか考えてみましょう。

・活動を少し抑えて、冷静に考えてみましょう

→これは、「本能」センターの過活動を少しは控えましょう、という「二番目のセンター」に対するものです

・自分の感情に気づくようにしましょう。とくに、抑圧された悲しみや後悔を。

→これは、「感情」センターを少しは使いましょう、という「三番目のセンター」に対するものです。

このように、世の中には色々なエニアグラムの本がありますが、アドバイスは基本的に「二番目のセンター」に対するものか、「三番目のセンターに対するものか」に対するものか、で、整理できます。

なので、もしネットや本でエニアグラムのアドバイスを目にした時は、そこに注意してください。そうすると、アドバイスを受け取りやすいです。

そして、これから、3,6,9の主要タイプの囚われについて考えてみましょう。リソ曰く、主要タイプは、単純です。単に、

「自分の元々のセンター」からもっともかけ離れている、ということです。つまり、タイプ3なら、もともと「感情」センターに位置していますが、もっとも「使っていないで歪んでいる」のが「感情」センターの機能なのです。逆に「本能センター」と「思考センター」はある程度使っています。

そしてタイプ3なら、この「本能センター」モードと「思考センター」モードを切り替えながら活動するのです。

だから、3,6,9が囚われから解放されるには、自分のもともとのセンターを使うようにしていくしかありません。それしかないのです。副次タイプのように、「二番目のセンターと三番目のセンターをそれぞれ整えて」、という感じではありません。自分のもともとのセンターとのつながりを回復するしかないのです。

だからある意味で、とても難しいです。主要タイプは、直接もっともバランスの崩しているセンターに向かい合わなければいけないからです。しかし逆に考えると、主要タイプは、自身とのつながりが失われたセンターが統合し始めると、その進歩は急速です。

そのような理由から、リソは、各タイプの「囚われ」からの解放を、副次タイプと主要タイプでは全然違うプロセスをたどる、と言っています。

次のような表現をしています。

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主要タイプの成長の道は革命的(revolutionary)と言える。一方副次タイプの成長は徐々である(evolutionary)。(補足:主要タイプは直接もっともバランスの崩しているセンターに向かい合わなければいけないので難しいが、統合のプロセスは急速である。それに対して)副次タイプにおける統合のプロセスは、過程を経るのが易しいかもしれないが、成長はゆっくりとした小さなステップの積み重ねであり、各センターのバランスは徐々に戻ってくる。

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では、主要タイプはどのように、もともとのセンターとのつながりを回復すれば良いのでしょうか?

それを、リソは「経験を積むしかない」と言っています。

次の引用をご覧ください(再び『understanding the enneagram: revised edition』からの引用です)

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主要タイプは長い時間をかけて自身の一番大事なセンターをネグレクトしており、発達させていない。ある意味、主要タイプは、経験によって学ぶことを必要している、とも言える。経験が生じれば、根元タイプは、自身にとって、その機能を使っても安全だと徐々に学び始めるのだ(納得し始める)。例として、タイプ3は他人の拒絶なしに自身の思いを感じることを学ばなければいけないし、タイプ6は外部からの支えを失うことなしに自身を信じることを学ばなければいけないし、タイプ9は他人とのつながりを失うことなしに自己主張できることを学ばなければいけない。

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つまり、ニュアンスとして、「安全に使えることを知る」経験を重ねるということです。

例えば私の友人のあるタイプ9は『「自己主張することは攻撃性を発動させることであり、人間関係の調和を破壊することだ」と信じていた』と語っていました。だから、その誤った信念を打ち崩すためには「自己主張しても、周りとの調和は破壊されない」という経験と積まなければならないのです。

同様にタイプ6なら、「自分の判断を信じると、周囲から手助けを得れなくなり、恐怖(安全の破壊)を招く」という誤った信念があるでしょう。だから、「自分の判断を信じて」も、周囲からの助けを失わず、かつ、結果的に安全に繋がるような良い判断であることが必要なのです。つまり、そのような経験を積む必要があるのです。(タイプ3については省略します) 

以上、これは、私が個人的に訳した原書の整理ですが、もともと、リソはこのように「各タイプが囚われから解放される」にはどのような道筋を辿れば良いか、合理的に、わかりやすく説いています。

しかし冒頭でも言ったように、日本のエニアグラム関連の本で、この話について触れている本はありません。

ですので、誰かの助けになればと思い、この記事を公開します。

また、詳しい話は 個人的に訳した原書からの抜粋にも書いてあるので(今回のようにわかりやすく整理してはいませんが)、そちらを読んでみてください。

今回、記事が長くなってしまい、健全~通常~不健全という段階と、囚われについて触れることができませんでしたが、それについても、訳した原書からの抜粋 にも書いてあるので、そちらを読んでみてください。

 

追記:記事の感想:ようやく肩の荷が一つ降りた感じがしました。。。。二年くらい前から「書こう書こう」と思って書いてなかった記事なので。。。

 

エニアグラムの本能のサブタイプについて(翻訳b)

本能のサブタイプについて、リソの本以外の詳しい説明がある本を見つけたので紹介します。
The Complete Enneagram: 27 Paths to Greater Self-knowledge 
という本で、アメリカのアマゾンでレビュー100件で星4.5くらいあるし、良い本だと思います。
私はこの本をキンドルで買って一部を訳してみています。

この本の特徴的なのは、本能のサブタイプについての説明と描写が詳しいことでしょう。
特に、各タイプに「自分の本能に逆らって行動している(かのように見える)カウンタータイプ」がある、という点が興味深いでしょうか。
例えば、タイプ9なら、カウンタータイプは、ソーシャルです。どのような点がカウンターかというと、本来タイプ9は怠惰・平安・調和を好むのですが、ソーシャルのタイプ9は、それを社会的な形で達成しようとするため、社会上の活動に積極的に参加することで、調和を達成しようとする点が「カウンター」という感じです。
また、例えばタイプ4の自己保存は、タイプ4にとってのカウンタータイプです。タイプ4は本来、自分を哀れんで憂鬱と感情的なムードに沈みますが、自己保存タイプは、救いを他人に求めるのではなく、自らの手で獲得するために、仕事に熱心になる、とか、そんな感じです。
これらの解釈と描写は、個人的にはかなり妥当だと思います。もともと、リソによって「各タイプの元々の資質と、強め合ったり弱めあったりするサブタイプがある」という可能性が提示されていましたが、そのアイディアを練り直したのがこの本の説明、という感じです。

部分的に訳してみたので公開します(著作権違反でしょうが)。
訳したものは、自己保存のタイプ3・6・9 です。また、冒頭の各サブタイプの概略も訳しています。
ちなみになぜ自己保存かというと、私が自己保存なので、興味があったからです。
では、以下、訳です。訳注は[ ]でコメントしています。


エニアグラム the_complete_enneragramの訳

<タイプ9 三つのサブタイプ
 タイプ9の原動力は怠惰や怠慢で、それは心理的な抵抗として定義される。心理的な抵抗は、自分自身の存在に対する、深いところでの抵抗であり、自分の「感覚・感情・望み」について気づくことを嫌悪しているのだ。
 タイプ9の三つのサブタイプは全て、精神的な怠惰や怠慢を示している。しかし、自己保存タイプか、ソーシャルタイプか、セクシャルタイプかで、それぞれ示す方法が違うのだ。怠惰や怠慢という原動力は、人や物事に溶け込みたい、という無意識的な感覚で表される。自分自身から気を逸らしたいのだ。また、自分自身の胸の痛みから気を逸らしたいのだ。
 そうして、タイプ9の三つのサブタイプは全て、「何かに溶け込んでしまうこと」すなわち「融解すること」を求めている。しかし、サブタイプごとに、溶け込む対象や方法(回路)が違うのだ。自己保存タイプにとっての溶け込む回路は、身体的な快適性や活動であり、ソーシャルタイプにとっては特定のグループが回路であり、セクシャルタイプにとっては誰か特別な他人が回路である。しかし、何が回路であろうと、自分自身から気を逸らせればそれで良いのである。タイプ9の三つのサブタイプは全て、本当の自分の周りを防音装置で囲んでいるようなものだ。そしてそれが怠惰や不活動として現れる。また、自分の感情や望みを無視することとして現れる。

<自己保存のタイプ9:"食欲"
 怠惰への欲求と、自己保存本能が組み合わさると、タイプ9は結果としてナランホの言う「食欲」というべきサブタイプになる。
このサブタイプの深いモチベーションは、世界において、快適な感覚を感じられることを見つけ出すことであり、それは肉体的な欲求を満たすものとして探し出される。このサブタイプは、食べること・読むこと(読書)・ゲームをすること・テレビを見ること・寝ること、また、働くことにさえ、満足感を見つけ出そうとするのだ(仕事については、それが心地よい場合)。
 このサブタイプに選ばれる活動は全て、その鍵となるのは、「快適な生活を維持することに関わるかどうか」にかかっている。それを活動によって達成できたら、このサブタイプは活動の中で自身の存在を忘れる(または自身の肉体と結びついていない苦痛を感じる[訳注:よくわからない])。そしてこのサブタイプは、毎日のルーチンワークの中に自身の快適さを見いだすのだ。
 自己保存のタイプ9にとって、「空想の中の快適さに逃避すること」や「慣れ親しんだルーチンワークに逃避すること」は、安全をもたらす。世の中で目立ったりするのは、[快適さを破壊する]葛藤を生むことになるので、好まない。複雑さに満ちた予測できない世界の中で、自己主張するより、活動の中で自分自身のことを忘れるほうが、彼らにとってずっと楽なのだ。
 この「食欲」という名前は、単に食べることに結びついているわけではない。肉体的な様々なニーズを満たす欲求を意味している。例えば、食べること、快適にすごすこと、リラックスすること、平和に貢献する感じを与えてくれる活動に関心を払うこと、などなどだ。また、このサブタイプは、肉体的だったり物質的なニーズを満たすなど、しっかりした感覚を与えてくれる欲求に結びついている。彼らのニーズはだいたいシンプルで、直接的で、物質的な実体があり、そしてエンジョイできる物事だ。ある自己保存のタイプ9の女性は、肉体的なフィットネスやダイエットをルーチンワーク化することで、セルフケアしていた。彼女は、ジムに所属し、小さくて親密なグループの中で、エクササイズやダイエットの継続のために、お互いをサポートしている。
 自己保存のタイプ9は着実[堅実?]な人であり、人々の仲立ちをすることに関心がある。逆に、抽象的な物事や、あまり肉体的じゃない物事には、それほど関心がない。これらのタイプ9は、「心理的なできごと[psychological mindedness]」や内省には関心があまりなく、その代わりにもっとはっきりとした目の前の「すべきこと」に関心がある。彼らは何事も、理論を学ぶより、現実の出来事に対処する方がやりやすいのだ。彼らは必ずしも世界に向けて自己主張しないし、自分の中で感じていることについて他の人に向けて話すこともあまりない。
 ナランホは「食欲」の意味を、何かをする「動物」に例えた。例えば、タイプ9にとって、「食べている時がほんとうの自分」だとか「寝ている時がほんとうの自分」という感じだ。つまり、より広い意味での生きる意味を、脳内から消し去る感じだ。[1文略]。彼らにとって、生きることはシンプルであり、ダイレクト[直接的]なことなのだ。
 他の二つのサブタイプと違い、自己保存のタイプ9は、より多くの時間を一人で過ごしたいと思う。他のサブタイプのタイプ9のと同じく、自己保存タイプも、周りの人々や周囲の環境に関心はあるのだが、しかし彼らは結局、あるがままの自分自身に満足しているのだ。だから、このサブタイプは、どんな活動でも、[あるがままの自分でいられるように]参加していれば満足しやすい。しかし同時に彼らは、ゆがんだユーモア感覚や、他人を軽視するようなユーモア感覚を持ちやすい。
 タイプ9はとても愛らしい人々だ。しかし彼らの内心では、自分が愛されるとは思っていない。そもそも自身を愛することを諦めているのだ。自己保存のタイプ9にとって、楽しい活動の中に快適さを求めることは、ある意味で深い自己放棄の代償行為なのだ。または、愛してもらうことを諦める代わりに、他人の欲求を満たしたりするのだ。彼らの陽気さや愛らしさは、とてもすばらしいが、しかしそれは人生の早期における欠落__愛を受け取る喜びの欠落__の代替物かもしれないのだ。
 自己保存のタイプ9は、アクティブで、直感的な傾向にある。彼らは、なんというか「芯の強さ」を醸し出すのだ。彼らはサブタイプの中で、もっともタイプ8に近いタイプ9なのだ。しかし、タイプ9らしく、何か活動を始める上での無気力さは断固たるものであり、それゆえタイプ8に間違われることは少ない。しかし彼らはセクシャルのタイプ9と比べて、強力なエネルギーに溢れている。自己保存のタイプ9は、他の二つのサブタイプのパーソナリティと違い、強力な存在感があるのだ。そして彼らは怒りっぽく頑固だったりひねくれていたりする。彼らは、他人の正しさを認めることが、なかなかできないのだ。このサブタイプは、他のサブタイプより一生懸命に生きる傾向にある。しかし、だからと言って怒りっぽいということでもなく、何か他の人に対して怒るときは「平和を保つための怒り」を表現するのだ。

ダニエル__自己保存のタイプ9は語る。
 僕はアメリカの中西部で育ちました。よく他人から「よく食べるね」って言われてました。これって褒められているのかな?ただ、確かなことは、食べることは僕にとって、どんなときも喜びを与えてくれました。特に、ストレスが溜まっているときは。
 僕は20代前半は選挙運動に関わっていました。そして数ヶ月後に25歳になります。
 それと今日、僕は理解しました、僕の食べ物への愛は、自分自身が愛されることの埋め合わせだったんだって。それと、「食べることより、まず自分自身を愛する方法」を学ばなきゃいけないんだってことも理解しました。
 僕は眠るのが好きです。単なる肉体的な欲求としてではなく、現実逃避としての睡眠なのかもしれません。ほかのタイプ9の友人が自分にはいますが、彼が話してくれました、「怒りを感じるとすごく眠くなる[訳注:この訳はあってないかも]」と。僕も[精神状態と眠りは]関係があると思います。
 ルーチンワークはとても快適なものです。僕には、仕事前に、パソコンをつけてからいつも行うルーチンワークがあります。まずメールをチェックして、5つの決まったウェブサイトをめぐるのです。毎日同じ順番で。もちろん、他にやることがたくさんあるときもあります。しかし僕は、慣れ親しんだウェブサイトをめぐるという、仕事前の快適なルーチンワークを崩したくないのです。
 一人でいることはリラックスできることです。なぜなら、食べたり、寝たり、TVを見ることに没頭できるからです。しかし、自分でもわかってきました、「快適な行為にとどまることは、重要な問題を片付けることには役に立たないし、自分自身をおろそかにしてしまうことだ」と。
自分自身との繋がりを回復して調和を取り戻すためには、問題が山積みです。なぜなら、自分の内面の葛藤や悩みはほとんど手付かずで残ってますし、そもそも自分自身の意見すら不明確なのです。
 僕に向かって、「あなたは本当はタイプ8だと思う。だって他のタイプ9より、どっしりとしていて自己主張的だし」と言う人もいます。その言葉は、私にとっては褒め言葉です!私にはタイプ8のウイングがあり、自己主張することを助けてくれます。そのウイングが、私に、怒りを表現したり、行動を取らせてくれるのです。
[訳注:この人は、単にタイプ9の自己保存タイプというだけでなく、タイプ9ウィウング8の自己保存タイプということ]
[補足:(リソによる本の中で)タイプ9が、自分を愛そう・主張しようとすると眠気が出る、という解説があったが、タイプ6が、自分を信頼しようとすると恐れが出るのと、同じかも?]

<タイプ6 三つのサブタイプ
 タイプ6の本質的な原動力は恐怖や不安だ。それらに対して、サブタイプごとに違った方法で対処する。自己保存タイプは、他人とのつながりを作ることで恐怖に対処し、自己防衛しようとする。ソーシャルタイプは、ルールや基準から逸脱せず、権力者の目の届く範囲では間違ったことをしないようにすることで、恐怖に対処する。セクシャルタイプは、自分の弱さ(脆弱さ)から目を逸らし、恐怖を打ち負かし、自分は強いと思うことで、恐怖に対処する[訳注:普通に考えると、セクシャルタイプが人との繋がりを作ることで恐怖に対処しそうだが、そうではなく、自己保存タイプが人との繋がりを作って対処する、ということ。セクシャルは自身の弱さに抵抗して、強さや美しさで恐怖に対処する(カウンタータイプ)]。
 ナランホが言うには、三つのサブタイプの違いは、タイプ6がいちばん分かりやすいと言う。タイプ6は、ほかの1〜9のタイプに比べて、同じタイプの中での一貫性が分かりにくいという特徴がある。タイプ6の三つのサブタイプは全て、不安に対処しなければいけない幼少期を送ったが、自己保存タイプは「他人と相互に協力して守り合う」ことで不安に対処した。ソーシャルタイプは「何かの戦略・イデオロギー・権力者が設けたルール」など外部の何かに従うことで人生の問題に対処しようとした。ソーシャルタイプは、外部に答えがあると想定して、それを見つけて従おうとするのだ。セクシャルタイプは、「他人が怖がるくらい自分が強大な存在になれば良い」という方法で恐怖に対処する。[他人が手を出せなくなるからだ。]
 結果として、どのサブタイプが最優先かで、[タイプ6は活動方針が全く異なるため]、受ける印象も全然違うのだ。自己保存タイプは暖かく、ソーシャルタイプはクールで、セクシャルタイプは情熱的だ。


<自己保存のタイプ6:"温かみのある人"
 自己保存のタイプ6は、抱えている恐れが、頼りなさの形をとって現れる。自己保存のタイプ6は、生き残ることへの恐怖がある。守られていないという恐怖は、防衛への原動力となり、他人との協力や友情を通して自己防衛しようとする。このサブタイプはタイプ6のサブタイプの中で、もっとも恐怖症の人であり、まさにタイプ6という感じだ。
 「世界は危険だ」という認識のもと、自己保存のタイプ6は友好的なつながりと保証を常に探している。彼らは永続的な友情、信頼、協力__つまり良い保証となりうるものを探し求めている。ナランホが言うには、「自分自身を信頼できないから、彼らは孤独に感じていて、外部からのサポートがないと対処しきれない」と感じている。自己保存のタイプ6は、家族を求めている。つまり暖かく、
敵がいなく、守られている状況を。彼らは、「理想的な他者」を生存防衛のために求めている。つまり彼らには、『「何も不安がない」状況を求めてしまう』という問題があるのだ[意訳]。母親に抱かれる子供のように、自己保存のタイプ6は、自分自身の関心を追求する自信もないし、自身の生存を守るという自信もない。
 自己保存のタイプ6は、防衛のための保証を探すことで、不安から逃れようとする。それゆえ、彼らは他人に依存する[訳注:つまり、自分で不安を抱えず外部に丸投げしたいということ]。彼らは、生存のための恐怖を感じないようにするため、何か他のもので埋め合わせようという情熱があり、それが他人に対する暖かさとなって現れる。だから、この原動力は、病的な暖かさである。自己保存のタイプ6は、サブタイプの中でもっとも暖かい人柄なのだ。彼らは、良い雰囲気で、一般的に愉快な人柄である。彼らは、見返りのない親しさと信頼を、無限に持っているように見える。しかし実は、彼らは「他人が失望してしまう」ことを恐れているのだ。とりわけ、「自分にもっとも近い人の失望」を恐れている。
また、暖かく振舞うことは、他人が彼らを攻撃しないようにする戦略なのだ。
 自己保存のタイプ6は、「怒り・攻撃性・挑発・敵対」を恐れている。そして実は、他人の攻撃性を恐れることは、自分の攻撃性を持て余していることの裏返しでもあるのだ[意訳]。ナランホがタイプ6について説明するところでは、[他人に暖かくすることで]他人に自分を好きにならせることは、他人が自分を怒らない[or攻撃しない]ことにつながるという。ナランホは次のように主張する、『「怒りへの恐れ」は実は、タイプ6が外部へのサポートを期待して他人に依存しようとすることからきているのだ』と。
 自己保存のタイプ6は、「決断へのためらい・優柔不断・自分自身への疑念」に溢れている。こうしたタイプ6は、多くの疑問を抱え、そしてそれは解消することができない。彼らは、自身を疑い、そしてその疑っている判断すら疑うのだ。「はっきりせず確信が持てない、または満足のいくはっきりしたものが見つけられない」という感覚のせいで、自己保存のタイプ6は、決断を下すことがいっそう難しくなる。彼らの目には、世界は曖昧さに満ちているように見える__全てが灰色で、「白か黒」[のように単純なこと]はほとんどないのだ。自己保存のタイプ6は、この不明瞭さについての感覚を追い払うことができない。こうした感覚と、疑念を抱きがちな習性のせいで、彼らは、何事も「準備ができている」とか「大丈夫(できる)」と思うことはない。彼らは、多くの責任を感じ、過ちについての罪を感じている。他人の罪でさえ自分のものと思うのだ[訳注:何故いきなり罪の話になるかわからない]。
 自己保存のタイプ6には、二つの真実がある:一つ目は暖かさ・優しさ・安らかさ・調和の取れた感じだ。そしてもう一つは、恐怖・罪・苦悶・苦痛だ。二つの真実は彼らの、心と頭の機能に対応し、その二つは、はっきり別れている。外部に向けては心の機能を示し、内部に向けては頭の機能を示すのだ。
 もっとも恐怖症的なタイプ6として、自己保存のタイプ6は愛と防衛を等しいものだと考える。だから、愛を探すときに、内面の不安定さを埋め合わせるものとして、安定さを探してしまうのだ。自己保存のタイプ6は、「自分が寄りかかることのできる強い人」を求める。そして、恋人にフレンドリーさを提供する代わりに、その恋人を、外部の攻撃からの防波堤として利用するのだ[意訳]。自己保存のタイプ6は、自分に欠けた強さを取り戻すため、誰か強い人に守ってもらうことや愛してもらうことに関心がある。なぜなら、強いものはタイプ6をより安全にしてくれるからだ[意訳]。
 自己保存のタイプ6は、それゆえ、タイプ2にも似ていたりする、タイプ2と同様に、暖かくフレンドリーな感じで、他者との関係の構築に多大な労力を払うからだ。[1文略。]しかしタイプ2と違うのは、自己保存のタイプ6の深いモチベーションは安全を築くことであり、タイプ2のような自尊心の満足ではない。

リンダ__自己保存のタイプ6は語る。
私は、一軒家が集う小さな地域で生まれ育ちました。そこでは、近所の住民同士が集まってルールを決め、問題を解決しながら安全に暮らせました。そうした環境は、幼心に、居心地よく感じました。そのため、私が「他人と快適な関係を築き、維持するためのポイント」は「話し合って決めることができるかどうか」になりました。私自身も「所属するコミュニティの価値を信じ、コミュニティの理想を実現する」ための、運営メンバーとして働きたいのです。
しかし、私はあるとき、現実ではルールや法令が全然守られていないことに気づきました。4年前、私は隣人に自分の権利を侵されそうになりました。そして私の気付かぬうちに、私の土地の一部が隣人のものになってしまったのです[意訳]。それにより、私がこれまで注意深く保ってきた隣人との同盟は破壊され、隣人は敵になりました。私はすっかり無防備になった気分でした。さらなる攻撃で侵略されたとき、私はどう自分自身を守ったら良いのでしょうか?
隣人からの裏切りによる、激しいショックと怒りのせいで、私は不安や恥ずかしさを感じました。そして私は、「近所の一軒家に住む住民同士の話し合い」に出ることをやめました。隣人と話したり、近所をぶらぶら散歩することもしなくなりました。いつまた「攻撃」を受けるか心配だったのです。[一文略。]家の外では[近隣住民に対し]私はフレンドリーに振る舞いましたが、内心はびくびくしてしていましたし、彼らを軽蔑していました。この、外面と内面の不調和が、心身をひどく疲れさせました。私が今望んでいることは、家を売って、さっさとこの地域から離れたいということです。

 

<タイプ3 三つのサブタイプ
 タイプ3の原動力は虚栄心だ。タイプ3の三つのサブタイプは、それぞれ違った方法で、「成功したイメージを保ちたい」という虚栄心を、表現している。しかし、この方法はサブタイプごとに異なる。自己保存タイプは、効率を求め、ワーカーホリックになることで、虚栄心に対抗して、きちんとした実際の成功を得ようとする。ソーシャルタイプは、自分が作り出した「自分自身の良いイメージ」を売り出すことで、虚栄心を直接表現する。セクシャルタイプは、「他人へ協力することをアピールしたり実際に行う」ことで虚栄心を表す。つまり「お人好し」となることで、自身の虚栄心を表すのだ。タイプ3の三つのサブタイプには、はっきりとした違いがある。自己保存タイプは、他社の関心を引きつけることより、ハードに働くことに関心がある。ソーシャルタイプはみんなの注目の的になりたがり、良いパフォーマンスを見せようとする。セクシャルタイプは、ロマンチックなパートナーを得たり、自分の人生で大切な人を支えることで、自分への注目を惹きつけようとする。セクシャルタイプは、あまり自分の達成したものを売り込まないのだ。

<自己保存のタイプ3:"安全保証者"
ナランホはこのサブタイプを「安全保証者」と呼んだ。なぜなら彼らはハードに働き、物質的安全と財政的安全を効率的に達成するためだ。自己保存のタイプ3は、安全に対する関心を示す、以下の点で:「自分自身や他人の世話をするためにどうすればいいか」の点と、「自立と自給自足を保つためにはどうすればいいか」の点で。
 自己保存のタイプ3は、しばしば、「防衛と資源」に欠ける子供時代を過ごしている。求めるものに対してそれらが足りていなかったのだ。そのような状況に対応するため、自己保存のタイプ3は、他人の助けなしにやっていくには、どのように活動すれば良いとか、どうすれば効率的に活動が達成できるかを、学ばざるを得なかった。自己保存のタイプ3は、危険に満ちた世界で安全確保をする上で、自立に特別な注意を払っているのだ。
 この安全への関心が根底にあるため、それは他者にも拡大される。自己保存のタイプ3は、自然に安全について気にしてしまう:彼らは頼りになる人であり、アドバイスを他人から求められる人でもある。彼らの外部に向けた印象は「穏やかで引き締まった感じ」に見え、「全てを他人と分かち合う人」に見える。しかし彼らは実は、内心では不安を隠しているのだ。彼らは、何かしらの物事を解決する(それも質の高い)スペシャリストになれば(そしてそのためにハードに働けば)、ストレスを感じないと考えている。それで、彼らは大抵財政的に安定していて、とても生産的で、そして「常にコントロールされている」状態になる。しかし彼らは、自身が熱望する「安全」をきちんと確保できるだろうかという不安にいつも悩まされているのだ。そしてその(感情がある)ことを、自分でもわかっている。
 自己保存のタイプ3は、自分の行うこと全てに、とんでもない質を求めて奮闘しがちである。彼らは、自分の行う活動において、模範的かつ理想的なモデルになりたいのだ。彼らは次のように願っている:「親として・パートナーとして・仕事人として」ベストな存在でありたいし、そして何もかもにおいてベストでありたいのだ。彼らは、他人から良く見えることを求めるだけでなく、内容が伴っていることを求める。彼らには、「安全上の欲求」と「他人から賞賛されたい気持ち」の両方がある。[訳注:つまり、名誉と実力を兼ね揃えた存在でありたいということ。例えば、仕事において、グループのエース的な存在など]。つまり彼らは虚栄心だけでは満足できないのだ。彼らは、何かをうまくやっていることの証としての他人からの賞賛を望んでいる。そして彼らは、可能な限り最高の方法で物事を達成したいと考えている。その点で、彼らは、他人だけでなく、自分自身にも納得させたいのだ。彼らの「理想的なモデル」を目指す傾向は、自分の欲求を忘れる原動力にもなりうる。
 このような、完璧なモデルになろうとすることは驕りであり、この驕りは自尊心の欠落からきている。つまり、自己保存のタイプ3は『「虚栄心などないフリをする」という虚栄心』を持つのである。これは次のことを意味する:自己保存のタイプ3は魅力的で成功しているように他人から見られることを望む一方、「そう望んでいる」という事実は他人から知られたくないのだ。つまり、「良いイメージ」を作り出そうとしているという事実は、他人から隠しておきたいのだ。そう望むことは、倫理的には良いことではないため、隠しておきたいのだ。道徳的に高潔に見られたいからだ。自己保存のタイプ3の人の中には、他人から賞賛されたいという自身の欲望に気づいているが、それをしばしば秘密にしている。[2文略:大した内容じゃないので略]。
 虚栄心を否定するため、自己保存のタイプ3は、サブタイプの中でカウンタータイプたりうる。つまり、このサブタイプのタイプ3は、元々のタイプの欲求に反抗しているため、タイプ3のように見えないということだ。このように、彼らは、虚栄心に抵抗することを原動力にしているが、しかし他のタイプ3のように、実際は虚栄心が存在するのだ[半文略]。
また、自己保存のタイプ3には、相反する二つの性質がある:「他人の関心を引き付けたい」という欲求と、「自分が生きていく上での安全を確保したい」という欲求の間に矛盾が生じてしまうのだ。ソーシャルサブタイプの3と違って(ソーシャルのタイプ3は外部によく自慢をする)、自己保存のタイプ3は、自分の目立つ部分を主張したりしないし、社会的地位の高さも自慢しない。なぜなら、そうした自慢は品が良くないと思っているからだ。しかし実際には内心では「他人から成功しているように見られたい」と思っている。彼らは、高潔なのか高潔じゃないのか微妙なところだ。
 こうした、「自分の内面について」嘘をつく習慣があるため、自己保存のタイプ3は、自身の本当の心の声に気づきにくい[意訳]。他のタイプと違って、自分自身に無意識的な嘘をついているのだ:もし彼らが自分の真のモチベーションに気付いてしまうと、彼らは困惑する。そもそも、彼らは、自分の[道徳的に高潔という]イメージ上の姿を信じ込んでしまい、実際の自分の本当の望みを隠しているのだ[意訳]。
 自己保存のタイプ3は、かなりワーカーホリック的であり、そしてその原動力は安全の確保なのである。彼らは、「自分自身の他に頼るものはない」と思い、「自身の人生をコントロールしたい」と思っている。彼らは、現実で起きることに責任を感じているし、しばしば自分を全知全能だと思っている。彼らの「物事をコントロールしたいという欲望」と「押さえつけられた不安」のせいで、パニックになる時がある。彼らは「自分の自立を失いそうな」時や「外部からの助けを必要とする」時に、パニックになったりするのだ。
 自己保存のタイプ3の、安全への欲求は、必要以上に生活を簡素にする。「何が必要か」という観点で物事を見るためだ。彼らは、自分にとって良いものや、コントロールできるものだけを、人でも物でも周りに置こうとする[意訳]。彼らは弱みを見せたくない。彼らはこう思いたい:「やるべきことは一杯だけど、なんでも上手くこなせているように見せなきゃ[意訳]」。もし、状況が自分のコントロール下から離れてしまうと、彼らは混乱し、自分の内面とのつながりを失い、そしてフリーズしてしまう。その時彼らは、コントロールを取り戻そうとするため多少荒々しくなる[意訳]。自己保存のタイプ3は、他のサブタイプに比べて、物事の対処の仕方において柔軟性に欠ける。
 「安全を確保するために効率的に働く」ことにエネルギーが注がれているため、自己保存のタイプ3は、自分の感情を大事にする気はあまりない。内面のメンタルスペースが小さいのだ。そうなると、他人に深く関わりにくくなる。彼らは、「他人との関係を維持する」ために一生懸命働くが、他人との深いつながりという面において問題を抱えている。自分の内面への気づきというのは、本来、他人との絆を作るものだ。しかし、自己保存のタイプ3は、自分の思いに気づきにくいので、他人との絆も表面的なものになってしまうのだ。自己保存のタイプ3は、「自分の感情」に目を向ける時間を、無駄な時間だと思ってしまうのだ。そして、結果として他人との親密な付き合いをしにくくなってしまうのだ。親密な付き合いは本来、自分と他人の「真の気持ち」に互いに触れ合うことで可能なのだ。
 自己保存のタイプ3は、タイプ3と思われにくい。彼らは、しばしばタイプ1やタイプ6に見間違われる。自己保存のタイプ3は、「柔軟さに欠け・責任感があり・自分のことを自分でやる」という点でタイプ1に似ているからだ。また、タイプ1のように、活動や仕事において「理想や高潔さを求める」点でタイプ1と似ている。タイプ1と違うのは、自己保存のタイプ3の方が「何をするにもペースが早く・他人の目に映る自分のイメージに関心があり・どんな姿が理想か明確な確信がある」点だ。タイプ3は、社会的なイメージとしての理想形があって、そことのズレをもとに判断するので、タイプ1とは違う[意訳]。タイプ1は内面の基準にしたがって、良いとか悪いとかを判断するのだ。また、タイプ6との違いは、自己保存のタイプ3は本質的にイメージ重視であり、安全のために働くが、一方タイプ6は防衛のために働くのだ。また、タイプ3は自信のアイデンティティや自尊心を常に疑い続けているので、生産性を落とすことには拒否反応を示す。一方タイプ6は、ものごとに疑念を挟み込むことで生産性を落としがちだ。

ヴァージニア__自己保存のタイプ3は語る。
私は、ずっと成功者でした。幼い頃、幼稚園では、課題を一番にやり終えて友達を助けていました。小学一年生の時、スクールカウンセラーは両親にこう話しました:「この子は、宿題も、学校でのふるまいも、何もかも完璧すぎてこわいくらいです」と。私は自分のキャリアを通じて熱心に働き、フォーチュン500企業の管理職に就いています[訳注:フォーチュン500というのは日本でいう大企業のこと]。それと、結婚と離婚を二回しました。私のパターンは、3年〜5年は完璧な妻を演じられるのですが、次第に極度の疲労が溜まり、夫への怒りが募ってしまうのです。私は、他人に弱みを見せたり、頼ることができないのです。そうすると非常に居心地が悪いのです。私は、『これまでの人生で自分が困難に挑戦してきた』ことを自慢に思っていますし、『人生において「責任・公平性・気前の良さ」を大事にしてきた』ことも自慢に思っています。私はそういう自分の性質を、他人からも賞賛されたいと思っています。しかし、表面的な評価を大事にしていわけではありません。[かなり意訳]。実質が大事なのです。
私がはじめてエニアグラムを学んだ時、私は、自分が「イメージばかり気にするタイプ3」であることを拒否したくなりました。私は、自分の中ではタイプ6でした。ワークショップの中で、私は模範的なタイプ6として、皆の前で話をすることさえありました。今になってわかりましたが、私のゴールは二つあります。一つは、強さと弱さのバランスをとることで、これは、過度に自立しようとしないことです。もう一つのゴールは、活動と落ち着きのバランスをとることで、これは、過剰に活動しないようにすることです。


ちなみに、これ以外のサブタイプや、タイプ3・6・9以外のタイプは、気が向いたら訳す予定です。
というか、この訳だけで字数は1万二千字くらいあったし、結構大変です。。。。

以下雑記です。
ちなみに、日本のエニアグラム団体の中嶋真澄さんとかは、買って訳してるっぽいんですよね。下記の記事とかみると。

enneagram.majikanakajima.com

私はそうした団体に属してないので、英語の本の情報を自分で手に入れようと思ったら訳すしかないですが。
英語版といえば、「エニアグラム基礎編」でほとんど触れられなかった、エニアグラムの理論的な理解についても、「Understanding the Enneagram: The Practical Guide to Personality Types」 の7章〜11章に書かれていて、そっちもクッソ重要なことが書かれていました。ちまちま訳してるのですが(そして粗い訳をこのブログで公開していますが)、日本のエニアグラムの団体では内部的には訳して公開してるんでしょうかね?

はっきり言って、邦訳本で公開されているエニアグラムの研究って、2000年以前のもので止まっているんですよね。前述の「Understanding the Enneagram: The Practical Guide to Personality Types」のような、とても重要で、そして基礎的なことですら、邦訳がなかったりします。

だから、1990年代後半〜2000年以降の、研究結果を学ぶには英語の本を読むしかないという。または、何かしらのエニアグラムの団体に入った方が良いのかなあと思うこの頃です。でも私、北海道の札幌に住んでるし遠いんだよなあ

爽やかさについての刷り込み

さっぱりしたい、清らかでいたい、曇りなきまなこで物事を見つめたい__それに異論を唱える人はあまりいないと思うが、それはどこからきているのか?

ここでは、日本における不思議な価値観であり、ほとんど誰もが無意識的に「好ましい」と思ってしまう「爽やかさ」について考察する。

 

その前に次の引用文に目を通してから、今後の考察を見てほしい。次の文章を読んで、さっぱりしたくなるだろうか?

"全てがわずらわしい__そんな感じだった。日々の仕事も、うるさい上司も、駅で出会う人混みも、何もかもがわずらわしく__そしてそんな些細なことに苛立つ自分も、全てがめんどくさかった。心が澱(よど)んでいた。

つまり私は__重苦しいものを捨てて身軽になりたかった。さっぱりしたかったのだ。"(「蛇と虚空に花束を」より)

本題に移ろう。

まず、言い切ってしまうと、日本人は「爽やかさ」が好きだ。そしてその逆として、じめっとしたものを悪と捉えている。

じめっとしたものは濁(にご)りに繋がる。濁(にご)りは悪で、清らかなものが良い__そういう発想は、日本人に染み着いていると言っても過言ではない。

例えば言葉一つとって見て考えても、発音の上で濁っているものは悪く、澄んでいるものは良い。例えば、じっとりは気持ちが悪いがしっとりは良い。ぎらぎらはなんだか不気味だが、きらきらは美しい。ざらざらは不快だがさらさらは心地よい。

そして言葉に限らず、文化の面で考えても、爽やかさは重要だ。例えばテレビの中の多くのアイドルは、男女を問わず爽やかさをウリにしている。

そして逆に、じめっとした人間関係に代表される陰湿さは、その「陰」という言葉からしてマイナスのイメージだ。

 

爽やかさはなぜ良いのか。まずはそこから考えてみよう。

そもそも人は最終的に死につながるものを嫌う。

病気や貧しさは言うまでもなく嫌なものだ。なぜならそれが、死につながるからだ。そして、その逆の、権力、金、人気などが好ましいのも、結局のところ「死からどれだけ遠かったか」を示しているからだ。権力、金、人気は、それらを持っていれば持っているほど死から遠ざかる__だから人は求める。

爽やかさも似たようなものと仮定して考えてみる。どう考えられるだろうか。

爽やかさが特に好まれているのは日本で、だ。ということは、日本固有の「死につながる」背景を考えてみればいい。そう考えると、日本の気候の特色である、夏の蒸し暑さが考えられる。夏のじっとりとした暑さは死につながる__食べ物が腐ることにつながり、不衛生な雑菌がはびこるのに繋がり、病気が流行りやすくなる。

そこから離れるため、逆の価値観として爽やかさが尊ばれる、と考えることができる。(ちなみに、気候的に類似した東南アジアについては私が知らないため、ここでは触れない)。

爽やかさの例を考えてみよう。さらさらとした流水のような透明感や、からっとした夏の乾いた日__これらは、「じめっとしたこと」=「死」を避けるために好まれたと考えられる。そしてその考えが染み付くと、それが人や文化に対しても使われるようになる。

さっぱりした人は好ましくて、カラッとした明朗な人はいい感じで、そして、その極限として「清らかさ」が存在するとも考えられる。

日本では古来「清らかさ」は圧倒的に最上位に置かれている価値観の一つだが、それはある意味「爽やかさ」の極限として考えることができる。

 

また、気候が価値観に影響するかどうか考えるのに、別の例を考えてみよう。太陽が乏しい国である北欧を例に考えてみよう。スウェーデンをはじめ北欧では太陽が基本的に乏しく、それが鬱を引き起こしたり、光合成でできるビタミンDが足りなくなったりしている。つまり、太陽の欠如が生命の危機につながっている。

そんな文化では太陽はどのように扱われているのか?聞くところによるとスウェーデンでは、夏の日光はみんな大好きらしい。ほとんどの人が外で日光浴をし、バーベキューをしたり寝転がったりして多くの時間を過ごす。日本から行った人はそれにびっくりするそうだ。そういう太陽を好む文化が「価値観」にまで結びついているかは分からなかったが、しかし太陽の乏しい国では太陽をより尊ぶ、と少しは言えるだろう。太陽の欠如が死につながるからだ。

 

話を元に戻して、日本における爽やかさとじめっとしたイメージについて考えてみよう。

例えば、日本のホラー映画では、まず間違いなく「じめっとした」ものが忍び寄ってくる怖さがある(そしてハリウッドでリメイクされるときは、その「じめっとした怖さ」は大抵切り捨てられる。彼らには理解できないからだ)。

また、アニメを例に考えると、アニメのOPでは異様なまでに、次のようなシーンがある。キャラクターが走っているシーンや、風が吹くシーンや、草原が出るシーンだ。基本的にこれらは全て「爽やかさ」を演出していると考えられる。

また、お話の中でも悪人は基本的に「じめっとした人」と描かれることが多く、逆に「カラッとした清らかな人」は正義の側に位置付けられる。

もののけ姫の主人公のアシタカを例に考えてみよう。アシタカの、人となりやセリフを知っているだろうか?彼は清らかな心を持つだけでなく、自身でもそれを元に判断することを言うのだ__曰く「曇りなき眼で見定め、決める」。

 

この爽やかさについての話の着地点はどこかというと、必ずしも爽やかじゃなくても良い、ということだ。

爽やかさというのは、今まで見てきたように、単に気候的・文化的な刷り込みのため、本来冷静に判断すべきことまで間違って判断してしまうことがある。

例えば、悪人でも爽やかそうなら「もしかして良いやつかも」と思ってしまったりする。(「ジョジョ 5部」を知っている人は、開始時のエピソードを思い浮かべて欲しい。カバンを盗まれた康一くんは、盗んだjojoを「なんか爽やかそう」だから良いやつかも、と思ってしまうのだ)

または、色々うじうじ悩んだり、怒りを抱えたり、そういう状況自体を好ましくないものだと思ってしまう。本来、悩みや怒りに善悪はないが、「さっぱりしておらず、身軽でない」という心境を、「爽やかでない」=「悪」と思ってしまうのだ。しかし、本当はそれらがマイナスかどうかはわからない。 

逆に言えば、爽やかさは印象操作としても使える。

例えば、あなたがお話をするとして、どんなに暗い救いようがない話でも、口調をカラッとさせたり、または最後に少し爽やかな感じにすれば、日本人的に「なんとなく爽やかだったし良いか」と思ってしまうのだ。

例えば、あなたが学生時代に片思いのあげく告白して振られたとしよう。しかし、振られて、失意の中でぼんやりするあなた、そこに風がふいて髪をふわっと巻き上げられたとしよう__そうすると、なんとなく良い感じのイメージにならないだろうか?これはある意味内容とは無関係に、爽やかさで印象操作する方法だ。

だから、爽やかさのイメージを上手く使えば、仮にじめっとした内容でも人気を得ることができる。例えば少女漫画の「ハチミツとクローバー」は、片思いの連鎖というジメジメした内容にも関わらず、ふしぎと「爽やか」な感じを打ち出して男女問わず好まれた漫画となっている。

つまり爽やかさは料理でいう風味のように扱えるのだ。

これはCMに有名人が出ているようなものだ。ドリンクのCMで美人かイケメンが出ていたら、ドリンクを飲んだことがなくても好ましいと思ってしまうのと同様で、爽やかであれば良いイメージを与えてしまうのだ。 

あるいは、松岡修造を知っているだろうか?彼は特にインターネット上で人気だが、見た目や言動がどうにも暑苦しい__つまり、日本的なイメージでは本来マイナスだ。しかし松岡修造のすごいところは、同時に爽やかでもあるところだ。つまり、暑苦しいけど爽やか、という、一見相反するイメージがあって、それが人気の一因なのだ。

取り止めがなくなったが、最後に、「爽やかでない」ことが必ずしも悪いことではない、ということを強調して終わりにしたい。 

例えば、冒頭にあげた引用文を再び見て欲しい(次の段落)。あなたは、さっぱりすることが良いことだと思ってしまわないだろうか?

"全てがわずらわしい__そんな感じだった。日々の仕事も、うるさい上司も、駅で出会う人混みも、何もかもがわずらわしく__そしてそんな些細なことに苛立つ自分も、全てがめんどくさかった。心が澱んでいた。

つまり私は__重苦しいものを捨てて身軽になりたかった。さっぱりしたかったのだ。"(「蛇と虚空に花束を」より)

 繰り返すが、爽やかなことが良いかどうかは、本当はわからないのだ。

余談だが、この記事を書いた私は北海道で生まれ育ったためか、気候的な「じめっとした」夏の暑さについては全然知らない。そのため、勝手なイメージで記事を書いた。

補足

1 文中で例に出した、濁った音は悪いイメージの例として、オノマトペ(擬音語)をいくつか例に出したが、あれは恣意的だ。必ずしも濁った音でも悪いイメージにならないオノマトペも勿論ある。例えば、ざっくりと話すの「ざっくり」、どっかりと座るの「どっかり」など、正負のイメージがつかないものもある。

2 気候が文化に与えた影響として和辻哲郎の「風土」がある。ここでは触れなかったが、真偽は別として有名だ。

3 作中の引用は架空のテキストである

エニアグラムの本能のサブタイプについて(翻訳a)

エニアグラムの本能のサブタイプについて、海外サイトの大まかな解説を一つ訳しました。

訳した元は、リソが創始者をつとめ、現在ラスが代表をつとめるEnneagram Institute®[エニアグラム研究所]のサイトからの文章です。下記ページのThe Three Instinctsの段落を訳しました (https://www.enneagraminstitute.com/how-the-enneagram-system-works/

訳すのにあたり、重要単語は日本語だけでなく英語も併記しました。

"=" の形です。

例文: 本能 "=Instincts" は人に影響します。

では、以下、記事です。

<3つの本能について "=The Three Instincts">

 3つの本能というものがあります。これは(よく誤ってサブタイプと呼ばれていますが)、パーソナリティを理解するのにとても重要です。

人間性の主な側面は、生物学的な「配線」に影響されます。(一文略)。私たちには、以下の本能があります。自己保存本能 "=self-preservation instinct"(体と生活を保ち、自分自身の機能を保つ本能)と、セクシャル本能 "=sexual instinct"(環境の中に自分を拡張したり、世代を超えて自身を拡張する本能)と、ソーシャル本能 "social instinct="(他人とうまく付き合ったり、社会的な連帯を作り上げる本能)です。 [訳注:セクシャルについては原文の意味が理解できなかったので直訳した。これ以後、訳注は[]で囲って表現する]

 私たち全員に3つの本能がありますが、この内の特に1つが、私たちが関心を向けたり行動を起こす主な観点となります。つまり、私たちが何に価値を感じ、何に惹きつけられ、何を快適に感じるか、この観点によって決まるのです。同時に、私たちは2番目の本能を併せ持ちます。これは、主要な本能をサポートします。それに対して、3番目の本能はほんの少ししか発達しません。3番目の本能は、私たちの人格と価値観の「盲点」になってしまうのです。この3つのうち、どの本能が「特に優勢」で「ほどほど」で「ほとんど使われていない」かによって、[つまり本能の順番によって]、 「ケーキのような本能の層」ができます。

一番優勢な本能が一番上の層で、次の本能が真ん中の層で、最後の本能が底の層です。  これら3つの本能が、私たちの人格に影響します。そして何より、人格が どの本能のニーズに優先権を与えるかに影響するのです。だから、全ての人が3つの本能を持っていても、ある特定の本能のニーズを他の二つより優先しがちになるのです。

私たちはこれを、「ドミナント[主要な]本能」と読んでいます。私たちはドミナント本能のニーズを最優先に考えるので、それにより、人生のなんの領域に一番関心を持つか決まりやすいです。

しかし、もし私たちがパーソナリティの防衛的な囚われにはまり込んでしまうと(つまり発達のレベルを下に落ちてしまうと)、私たちのパーソナリティは、ドミナント本能を混乱させてしまうのです。

[訳注:上記の文の意味を解説します。もともと各タイプには発達段階があり、レベル1(健全)からレベル9の(不健全)まであります。そのレベルが下がってしまうと、もともと持っているドミナント本能が、統制されず、悪い形で出てしまう。ということだと思われます]

 そして何より、私たちのエニアグラムのタイプが、ドミナント本能に独特の傾向を加えるのです。[訳注:エニアグラムのどのタイプかによって、同じドミナント本能を持っていても、その現れ方が違うということ]。エニアグラムのタイプとドミナント本能を組み合わせると、パーソナリティの働きが、より分かりやすくなります。もし私たちが3つの本能と9つのエニアグラムのタイプを組み合わせると、組み合わせが27個生まれます[3×9=27]。そして、27のそれぞれに、各タイプ内での違いと人格的な変化があるのです。[訳注:上記の文の意味を解説します。各タイプには、もともとある特徴だけでなく、それぞれのタイプに特有の人格の動きがあります。動きというのは、例えば、各タイプは統合の方向や分裂の方向に動いたりしますし、発達の段階も上下します。それも加味した上で、27のそれぞれの違いがある、ということと思われます]。

私たちはこれを、タイプの本能差分 "=Instinctual Variants"と呼んでいます。 このエニアグラム研究所ではオンラインテストを提供しています。そのテストは、あなたがどの「タイプの本能差分」[27のうちどれか]を理解するのに役立つでしょう。また、本能の順番も理解できます。そしてまた、このテストでは、あなたが、どのエニアグラムのタイプで、どのウイングで、どういう本能の順番か、詳しい情報を提供できます。

以下は、3つの本能の簡単な解説です。

 

<自己保存本能 "=Self Preservation Instinct">

自己保存本能がドミナント本能である人は、次のことに関心を持つ。安全、快適、健康、エネルギー(お金)、肉体的な健康だ。つまり、彼らは生活上の必要性を満たすのに、十分な資源があるかどうかに関心があるのだ。身体は全ての人にとってに基礎的な問題で、この世界の中で生きて活動するためには、自分の体を健康に保つことは必要だ。先進国の多くの人は、生きるか死ぬかという「サバイバル的な」問題には直面していない。だから、自己保存本能は次のことに目を向けさせる。食べ物やお金、家、医療的な健康上の問題、肉体的な快適性にだ。さらに拡張して言えば、[自分だけでなく]他の人がこれらのニーズを満たしているかどうかについても、関心が行く。彼らの関心は、必然的に、周りの環境へも関係してくる。例えば、衣服や温度、ショッピング、内装などだ。(一文略)。自己保存本能の人は、地に足がついていて、実践的で、まじめで、自分の本能的な要素との結びつきが強い。彼らも、社交をしたり、誰かと親密な関係を結ぶかもしれないが、しかし彼らにとって、自己保存的なニーズが満たされていないと、幸せとは感じられず、快適とも感じられない。彼らの主要な対人関係は、「巣を作る」ことに関係する。すなわち、安全で安心で頼もしく落ち着きがあるパートナーを得ようとするのだ。

 

<セクシャル(惹きつけられる))本能 "=Sexual (aka “Attraction”) Instinct">

 多くの人が、自身をこの本能タイプだと錯覚する。なぜなら、セクシャル本能は、「一対一の関係」に関心があるからだ。しかし実際には、3つの本能タイプ全てが、異なる理由から一対一の関係を重視しており、だから、[自分がどの本能が強いか]見分けるのが難しいのだ。セクシャル本能タイプの鍵となる要素は、何かや誰かに対する「化学反応」のような激しいモチベーションだ。セクシャル本能タイプは、ほぼ常に、何かに惹きつけられている。しかし、もしセクシャル本能タイプだとしても、それが性的な反応に結びついているわけではなく、性行為が必要というわけでもない。(一文略)もちろん、私たちは誰しも、ある人々には惹きつけられ、他の人に対してはそうでもなかったりする。しかし、セクシャル本能タイプは、常に、人や活動に対して、激しいモチベーションを持ち続けているのだ。彼らは、本能タイプの中でもっとも「エネルギッシュ」なタイプであり、そして、アグレッシブになりがちで、競争的になりがちで、何かに突進しがちで、自己保存的タイプやソーシャルタイプより感情的に激しくなりがちだ。セクシャル本能タイプは、世界に対して、激しい情愛を求めており、それが満たされなければ不満足なのだ。彼らは何かに激しく関わることを、自身の喜びとする、ある意味で、自身とその何かが溶け合ってしまうくらいに。そして、彼らの欲求である、対象へ一体化したいという激しい情熱がパートナーによって満たされなければ、彼らは幻滅してしまうのだ。誰かや何かの中に自身を融解させ、自身を失ってしまうのが理想であり、セクシャル本能タイプは、そういう機会を常に求めているのだ。その対象が、人か、何かの活動かにかかわらず。

<ソーシャル(適応的な)本能 "=Social (aka “Adaptive”) Instinct">  

多くの人が、自身をセクシャル本能タイプではないかと錯覚するのと同様に、多くの人が自身をソーシャル本能タイプと錯覚する。なぜなら、このソーシャルという言葉が、何かグループ活動や、パーティのような活動と思っているからだ。自己保存タイプが環境の中で快適で安全であることを求めるのに対して、ソーシャル本能タイプは社会的な関係の中での自身の役割を満たすことに関心を向ける。だから、ソーシャル本能タイプは、他人に対して敏感である。親しいグループであろうとなかろうと、社会における他人に対して敏感なのだ。彼らは、自分の行動や態度が、他の人にどのような影響を与えるか、とても気にする。さらに、セクシャル本能タイプが常に親密さを求めているのと同様に、ソーシャル本能タイプは、社交上の人脈をとても重視する。彼らは、長い間、人々や世界に関わることを望んでいるのだ。ソーシャル本能タイプは、本能タイプの中で、自分の属するコミュニティへの影響をもっとも重視するタイプである。彼らは、他の本能タイプより、親しみがあり、オープンな感じで、よく人に関わって、(社会の)人間関係上の責任に応えようとする。人間関係において、彼らは、社会的だったり社交的な活動を分かち合えるパートナーを求めている。矛盾することに、彼らは長期間孤独でいることもある。[なぜなら]ソーシャル本能タイプは、自分の関心外の活動に参加することに対して、消極的だからだ。

エニアグラムのタイプを見分けるコツ(タイプ4と5について)

エニアグラムのタイプを見分けるコツについて書こうと思います。

2chエニアグラムの関連スレッドを見ていたら、タイプの見分け方の話が出ていたので。

見分けるコツについて、他人から見た場合(外面的)と、自分から見た場合(内面的)についての見分けるコツは違うと思います。 外面的には、分裂の方向を意識すると見分けやすいと思います。 内面的には、人格の中心となる恐れを意識すると見分けやすいと思います。

例えばタイプ5とタイプ4の違いについて、2chに見分け方をレスをしました。それを引用したいと思います。以下引用です。レス91、93、94でごちゃごちゃ言ってるのが私のレスです。

 

89没個性化されたレス↓2017/08/29(火) 15:51:52.03>>91
5w4と4w5の決定的な違いは何だと思いますか
91没個性化されたレス↓2017/08/30(水) 15:12:34.77>>92
>>89 
それぞれのタイプの分裂の方向を見ると、どっちかすぐ判断できるよ 

人は日常において、分裂の方向に転びやすく、そのタイプの特徴を行動化しやすい。 
だから、一見タイプ4か5か分からなくても、タイプ7のようにテンションアゲアゲで享楽的な行動が多かったらタイプ5だし、 
タイプ2のように馴れ馴れしかったり親しみやすかたっりする行動が多いとタイプ4だよ 

それと、リラックス時には統合の行動をとるから、 
リラックスしているときのその人を見て、 
タイプ8のよくに割合我儘で押しが強いのがタイプ5で、タイプ1のように真面目っぽいのがタイプ4だよ 

ちなみに、私はタイプ4w5で、5w4の知り合いも居るから、 
他にも何か質問があれば、答えたり答えなかったりしますよ

 

92没個性化されたレス↓2017/08/31(木) 12:19:23.56>>93>>94
>>91 
ありがとうございます 

なるほど、分裂と統合ですか 
自分のタイプが分からなかったのですが、どちらかと言えば5w4のような気がします 
それらの例だとどちらも当てはまる気がしちゃって…深く考えない方がいいのでしょうか 
エニアグラムに触れてまだ日が浅いのでもっと調べてみます

 

93没個性化されたレス↓2017/08/31(木) 13:28:41.20
>>92 

いや、いきなり複雑なことをいって悪かった 
タイプ4のと5の決定的な違いは、生きる上での課題だよ 
タイプ4も5も共通しているのは、「自分はこの世界で生きていけるか?」的な無能感があると思うけど、 
決定的に違うのはその中身で、タイプ4は「自分を好きになってくれる人がいるだろうか?自分を認めてくれる人はいるだろうか? 
自分にその価値があるだろうか?(感情・好悪・アイデンティティに関わる事柄)」というのが生きる上での課題だけど、 
タイプ5は、「自分に生きていけるだけの力はあるだろうか?この不安定な世界で自分は安心を得ることができるだろうか? 
世界に対処する知識や力はあるだろうか?(思考・戦略・未来に関わる事柄)」というのが生きる上での課題だよ。 

もちろん、いくつか注意点があって、一応蛇足だけど3つ解説します 
一つは、ウイングが重いと(ウイングには、軽い重いがあって、どの程度隣のタイプの性質を持ち合わせているかが変わるけど、 
重い場合は)、タイプ4でも「知識や不安や力を」をかなり重視したり、タイプ5でも「この人は自分を認めてくれるだろうか?」をかなり重視したりする。
だけど根本的に、対人関係において違うのは、 
タイプ4は「この人は私を好きか嫌いか、そして私はこの人を好きか嫌いかで」で判断しがちだけどタイプ5は「この人は信頼できるか? 
強さがあるか?そして私にも強さと有能さはあるのか?」で判断しがちだよ。 

二つ目の注意点はそもそもあなたがタイプ4w5でもタイプ5w4でもない可能性だよ。 
例えばタイプ6は、自分をタイプ4と見間違ったり、タイプ5と見間違ったりする可能性がある。

 

94没個性化されたレス↓2017/08/31(木) 13:29:27.36
>>92 
続き 

三つ目は、男女でエニアグラムの傾向が違うから、その点を考慮しないと、判断しにくいよ。 
例えばタイプ5でも女性の場合は、男性とは脳のつくりが違うから「人に好かれるか嫌われるか」を、 
男性のタイプ5より気にする可能性があるよ 

あと、もし多少きちんとエニアグラム(と自分自身)を知りたくなったら、以下の本をおすすめするよ 
・9つの性格 エニアグラムで見つかる「本当の自分」と最良の人間関係 (PHP文庫) 
とかで入門してみて、ちょっとわかってきたら 
エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ) 
とかを読むといいよ 

なんにせよ、まずは鈴木 秀子さんの本あたりを読むと理解しやすいよ

 

ちなみに、上記でタイプ4が「価値重視」タイプ5が「戦略と力重視」と書いたのは、単にタイプ4と5の違いだけではなくて、タイプ4は分裂でタイプ2へ動き、統合でタイプ1へ動きますが、どちらもエニアグラムの円の中の右側で、感情すなわちfeelingの特徴を持つので、feelingタイプの特徴である「価値」を求めるエネルギーが人格の中心になるからです。対してタイプ5は、分裂でタイプ7、統合でタイプ8へ動くので、どちらもエニアグラムの円の中の左側で、思考タイプ的な特徴を持つので、「力と信頼と安全」みたいな価値観が人格の中心になるからです。

また、単にタイプ4と5の違いとしては、タイプ5は意外に論争好きで、タイプ4はそうではない、とか、そういう違いもあると思います。

終わりです。

しばらくブログに何も書かなかったので、こうしたお茶を濁す記事をたまに書こうと思います。。。

また、見分けるコツの正しさについて、ここで書いたことが絶対に正しいと主張する気は、もちろんありません。。。

エニアグラム関連書籍の紹介

エニアグラム関連の本が多くあります。

どれを購入したら良いのか迷っている方へ、いくつかの本を比較しながら紹介します。

ちなみにエニアグラム関連の本は、全体的に、日本人が書いた本よりアメリカ人の本の方が質が良いです。なので、今回紹介するのは、それらの邦訳本の比較です。

 

エニアグラムあなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)

日本で出版されている本の中では理論的にもっとも充実していて、説明がわかりやすいです。

少し真剣にエニアグラムを勉強したくなったら読むのがいいと思います。

ただし、日本語版では英語版と比べていくらか内容が省略されています。その省略された内容を、「基礎編」の次の「上級編」として出す予定だったらしいですが、一向に出る気配がありません。

(なお、省略された内容については、英語版のUnderstanding the Enneagram: The Practical Guide to Personality Types の7章~11章に書かれており、読みたい方はそちらを読むといいでしょう。かなり大事な部分が省略されていることがわかります。kindleで買えます)

なんにせよ、ある程度きちんとエニアグラムについて知りたい方におすすめです。

 

・性格のタイプ自己発見のためのエニアグラム

これには初版と改訂版があり、改訂版の紹介です。

他のレビュアーの方も言っていますが、各段階(発達のレベル19)ごとのタイプの説明がもっとも詳しいです。各タイプの特徴を詳しく知りたい方は買うと良いと思います。

なお、現在では改訂版の値段が高すぎる(アマゾンで70000円以上のため、近くの大きな図書館等に行って借りて読むと良いです。ちなみに初版の方は、上で紹介した「エニアグラムあなたを知る9つのタイプ 基礎編」と大差ないです)

 

エニアグラム(9つの性格分析)で相手の「性格」が怖いほど見える!

この本の特に良いところは、各タイプの「人づきあいにおける相性や付き合い方」が書かれているところです。恋愛関係や仕事関係(権力関係)における各タイプの関係について、かなり比重を置いて、しかもわかりやすく書かれています(なんと、一冊の約半分である160ページが人間関係について書かれています。ちなみに、ネット上「各タイプの相性」について書かれているものは、この書籍が元になっているものが多いです)。かなり各タイプの関係について詳しく、かつわかりやすいので、その辺を求める方におすすめです。

 

エニアグラムでパートナー探し

この本は、タイトルではパートナー探しとありますが、恋人探しな説明においては上記の「エニアグラム(9つの性格分析)で相手の「性格」が怖いほど見える!」の方が良いです。

しかし、この本では「本能のサブタイプ」ごとの各タイプの説明をしており、それがこの本の良いところです。これは他の本で説明されていることがほとんどありません。

詳しく言うと、本能のサブタイプ、つまり「自己保存」「対人」「社会」ごとの各タイプの特徴を説明していて、

たとえば、タイプ3なら以下のように説明されています。

>自己保存型のタイプ3ー「安全」を重視

  ・経済的安定が私にとってもっとも重要だ

  ・体の調子がよく、健康をたもつことが必要だ

  ・、、、、、、、、、、、、、、(以下特徴が箇条書き)

>対人関係型のタイプ3ー「安全」を重視

  ・私はカリスマ性、成功、性的魅力、力強さによって異性に印象付けようとする

  ・魅力的に見せる術をマスターしている

  ・、、、、、、、、、、、、、、(以下特徴が箇条書き)

>社会型のタイプ3ー「安全」を重視

  ・私はエネルギッシュで、有能で、意思の強い指導者だ。私は人々が良い仕事をし、問題を賢明に解決するよう導き、聴衆の注目を集め続ける。

  ・、、、、、、、、、、、、、、(以下特徴が箇条書き)

なので、各タイプの本能のサブタイプごとの特徴を知りたい人には良いと思います。

ただし、それぞれのタイプについてサブタイプごとの説明はちょろっとしか書かれていない(各タイプ2ページずつくらい)ので、図書館で借りて読むくらいがちょうどいいと思います。

 

・新 エニアグラム

この本では各タイプごとに色々な方のインタビューがのっており、各タイプの感じ方が生き生きとわかります。また、特に素晴らしいのは「直感スタイル」という項目の説明です。各タイプの感じ方を「直感スタイル」として紹介しています。

(<例>タイプ1の直感スタイル:タイプ1はあらゆる状況が完璧な事を、「しっくりくる」という皮膚感覚で知る。完全に正しい解決策に出会ったタイプ1は楽になり、体がリラックスして感じられる。その感覚を言葉にするなら「なんて完璧なんだろう」となる。、、、以下略)

ですので、各タイプの生き生きとした感じ方や、タイプごとの体験談を知りたい方におすすめです。

なお、私が知っている限り「直感スタイル」として各タイプの感じ方を説明しているのはこの本だけです。

 

エニアグラム入門性格の9つのタイプ The enneagram

キリスト教的な観点からエニアグラムが紹介されており、それが面白いです。

この本特有の面白い部分は三つあります。

一つは、各タイプの時間の感じ方や、動物のたとえが、イラストつきで説明されていること。特に、時間の感じ方は、説明がどくとくで面白いし、「なるほど」という感じです。

もう一つは、友人からそのタイプを助けるにはどうすれば良いかという説明。

もう一つは、各タイプが「統合時にどのセンターに行くか」、また「分裂時にどのセンターに行くか」を「慰め」と「荒み」と表現していて、その時の感じ方について書かれている部分です。

これがなぜ有益かというと、各タイプのそれぞれの統合時の感覚ではなく、「統合するセンターがどこか」で共通する感覚がある、と主張していることです。逆についてもしかりで、「分裂するセンターが同じ」であれば「共通する感覚がある」と述べていて、それが本書でいう「荒み」です。

例えば、統合すると本能センターに至るタイプ4,5,6は、統合の方向に行くと、「神の愛に燃え立つような、全身が焼き尽くされるように感じます」と書いてあります(おそらく本能センターの感覚を得るということでしょうが)。

また、分裂タイプが感情センターであるタイプ1,4,6は、分裂の方向に行くと、感情センターの荒みである「焦燥感や(自己や他者に対する)嫌悪感」を感じる とあります。

他の本にはこのような観点の説明はあまりないので、有意義だと思います。

エニアグラムの基本原理の日本語未翻訳箇所

Understanding the EnneagramRevised Edition”(Houghton Mifflin, Boston, 2000) という本があり、日本語の書籍としては出版されていない本だが、そこにはエニアグラムの基本原理を考える上でいくつか重要な話が述べられている。

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